『デス・ゾーン』
私はこの事件について、はじめ、Jon Krakauerの「 INTO THIN AIR」、邦題「空へ」を読んだ。ジャーナリストとしてアドベンチャー・コンサルタンツ隊に参加していた著者が、現場を踏んだ者にしか書けないレポート、という体裁で世に放ったもので、当時かなり話題になった。この中で、マウンテン・マッドネス隊のロシア人ガイドは、強靭なクライマーだけど身勝手でガイドとして失格な人、って感じに描かれていた。
後日、顧客で、一度は死んだと思われて放置されながら奇跡的な生還を果たしたベック・ウエザーズの『死者として取り残されて』を読んだ。ウエザーズは何かを告発するとか真実を知らしめる、というよりは、極めて内省的な内容を書いたのだが、クラカワーが書いていることとは少し異なっていた。
この2冊を読んだ私は、どちらにもなにかまだるっこしい違和感を感じて、難波康子さんが書いたものを読んでみたい、と思った(もちろんそんなことは不可能なんだけれど、前出の2冊の本を書いたのがアメリカ人で、難波さんは日本人だから、かな?)。
そして、今回「身勝手なロシア人ガイド?が書いたものを読んだ。これまた、クラカワーの著書とは、ずいぶん違うことが書かれていた。どちらが真実かは知らないし、私には関係のないことだが・・・、
人はそれぞれ自分の主観でものを見ていて、見えているものが全く違うのだということに、少しだけ慄然とした。
夜空に浮かぶ月は、日々形を変えていくけれど、月そのものは変わらない球体のままでぐるぐる回っているだけだ。そして太陽に照らされた面だけが私には見えていて、その形が「月」というものだと私は思っている。裏側も、光の当たらない影の部分も、見えないので、それは私にとっては「ない」のと同じなのだ。
所詮他人は他人、見えているものも違えばモノゴトのとらえかたも違う。会話をしていたって、どれだけ通じているのかわからない。自分が書いた文章がどれだけ「自分が書いた意味」で他人に伝わっているのか、本当にわからない。
ただ、このロシア人登山家が書いた本を読んで、私は少しだけ、この登山家にシンパシーを感じた。山に生きたが、山で死んだので、今はもう亡き人なのだけれど・・
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