K2嵐の夏
1986年の夏、世界2番目の高峰“K2”に、どういうわけかトモ・チェセン、イェジ・ククチカなどのスーパークライマーをはじめとする名だたるクライマー達が集まり、“登頂ラッシュ”状態となる。が、そこへ天候の急変が・・・ 結局、27人が登頂するが13人が遭難死。8000mのC4に閉じ込められたクライマー達が次々と力尽きて倒れていく・・・
その場に居合わせ、きわどく生還したものの、長年一緒に登って来たパートナーを喪った著者が死闘の日々を綴ったもの。
著者は、超高所登山についてこんな風に書いている。
「・・・(略)・・・言うまでもなく、完璧な体調とできる限りの高度順化が前提条件である。それに加えて、もうちょっと漠然とした何かも必要だ---そういう特別な日々には、「宇宙との共生」というか、均衡というか、調和というか・・・そういうものを感じることが・・・・。」
不死身ではないのかと思うようなクライマーがたまにいるが、きっと彼等はそういったことを“感じる”能力を持っているんだろう。
そして、こう書いた著者は、死線をさまよいながらの下山のことを、
「自分が、固有のリズムを刻む永久機関と呼ばれるようなものになったような気がする。・・・(略)・・・私はどこからか来て、どこかへ去っていく・・・。外形が変わっても、それは変わらない。今いるこの場所も、私が旅してきた道も、所詮はペルペ、つまり終わりなき結び目の一節なのだ」と書く。
クルトの“結び目の一節”という感じ方は、まさしく輪廻転生の考え方そのもの・・・
そして“永久機関”という感じ方は・・・山野井さんのギャチュンカンからの生還も、J.シンプソンのシウラ・グランデからの生還も、限界を超えた最後は生きようとする意志の力だけで自動的にカラダが動く“永久機関”になっていたのではというような気がする。
K2嵐の夏
THE ENDLESS KNOT
クルト・ディームベルガー著
海津 正彦 訳
山と渓谷社 発行
2000年9月1日 初版第1刷
偶然だが、少し前に放映されたNHKのドラマ「氷壁」最終回を今頃ようやく観た。あれも舞台は原作と異なってその「K2」で、「マジックライン」て、なんて安易なネーミング!って思ってたけど、ホントにあったんだね・・・。
それにしても、ラストの盛り上がりの部分・・・
美那子「あなたは(私のために)山を捨てようとした。それは私の好きな奥寺さんじゃない。あなたは山に登っているときに輝いている。でも、K2には登ってほしくない・・・ずーっとそばにいてほしい。・・・矛盾してるのよ」
奥寺「俺は、100円のエプロンをして料理をしている美那子さんが可愛かった。でも、(初めて)パーティで会ったときの美那子さん(爪にネイルアートを施し、ダンナの会社の取締役で別会社のオーナーで1本20万円のワインを飲むよな?)はもっと輝いていた・・・」
で、結局モンダイの2人はこんな会話をして別れるんだけど・・・、
クレジットに「原作」って書かれてる井上さんがこれを見たらどう思うんだろうなぁ・・・。
しかも、原作での第二のヒロイン“かおる”、ドラマでは「北沢」の妹、ええっと名前は忘れた、が、とてつもなく嫌な女で。告げ口するだけしまくって、挙句の果てに「私のことなら大丈夫よ・・・ヨヨヨ・・・」と男の前で泣いてみせる。原作ではかなりりりしい女に描かれていたように思うが。わたしがかおるの実在モデルだったらコレは間違いなく化けて出るけどなぁ・・・?
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