« ギアレポート② TRANGO CINCH | トップページ | 「いいうたいろいろ4」 »

「サバイバル登山家」

『向かおうとしているルートに危険な個所はない。それでも僕は怖かった。これまでにない方法で山に入ろうとしていたからである。』 その方法とは・・・
Photo_61 「現代文明を何でも使ってとにかく山頂まで行けばいいっていうのが今ふうの登山」で、それに対
して著者は「フリークライミング的に自分の力だけで大きな山塊を登ってみたい」と、電池を使うもの(時計、ライト、ラジオ)や加工食品などを一切持たずに山へ入る“サバイバル登山”というスタイルを選択する。食糧は米と調味料のみ。燃料は持たない。イワナを釣り、捌き、山菜を摘み、焚き火を起こしてはじめて食事にありつける。イワナが釣れなければ飢え、天候の読みを誤れば危機に陥る。
そんなふうに山と対峙するスタイルは、とても真似なんかできないし、ストレートに「同感する」と言
い切れるほど潔い自分でもないけれど、読み進むうちに心の奥底に微かな憧憬が漂い出すのを抑え切れなかった。
知床で、日高で、黒部で、豪雪や台風や雪崩や・・いろんな自然の脅威に直面しながら生と死の境界
線で闘争的に繰り広げられる山行記録は、息をつめながら一気に読み進まざるを得ない迫力に満ちている。

好き嫌いはあるだろうが、山ヤなら読んでソンはない一冊だと思う。

  「サバイバル登山家」
   服部文祥 著 
   みすず書房 2006.6 刊

ところで。「あとがき」に彼はこう書いている。
『やや穿った見方だが、都会に生きる人々の大多数は一方的に消費するだけの人間という意味でお客さんである。買い物客、乗客、もしかしたら患者まで、自分で解決する機会を奪われたか、あきらめるようにしむけられてきた人々だ。食糧の調達をあきらめてスーパーに買いに行き、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院にいく。
 僕は都会にいると、自分がお金を払って生かされているお客さんのような気がして、ときどきむしょうに恥ずかしくなる。』

私は、この捉え方が“理解できなくもない”が、きっと違うと感じている。
現代人は「あきらめて」いるんじゃない。それ以外の選択肢なんか初めから“存在しない”んだから。
コンビニやレストランで“採食”するのが現代人の一般的な生態だ。狩猟能力を喪失した替わりに異常なテリトリー侵害に耐えられる超能力(満員電車に乗れる・・)でも獲得したんだろう。しかしながら、人によるがDNAに“サバイバル”への渇望がほんのわずかだけ残っているみたいだ・・

|

« ギアレポート② TRANGO CINCH | トップページ | 「いいうたいろいろ4」 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「サバイバル登山家」:

« ギアレポート② TRANGO CINCH | トップページ | 「いいうたいろいろ4」 »