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漂蕩の自由

“最後の無頼派”と呼ばれ、自ら“老ヒッピー”と名乗る檀一雄氏が様々な旅のエピソードを綴った痛快なエッセイ。
Photo 「ただ、私にあるものはどう処理もしようのない不吉な己の心塊だ。手を出し足を出すまぎらわしようのない妄動の五体である。私だって平穏無事は願っている。妻子の飢えるさまを見たくはない。が、何物かに向かって飢える心を隠蔽することだけは出来にくい。世の人から指弾されようと、それが己のいつわらぬ漂蕩の性(さが)だからである。」

NY・ワシントンスクエアの安宿で、8階の窓に腰かけて師走の風に吹かれながら、墜死するかもしれないような状態で苦渋の酒に酩酊するこの男・・


何かを真摯に求めることを捨てて、ぬるま湯の中で半ば腐敗しながら生きているような私なんかとは人生の濃度が全く違う。

『漂蕩の自由』
檀一雄 著
中央公論新社 刊
2003年8月初版発行

彼の代表作のひとつ『火宅の人』・・・、
そこに描かれる壮絶な自我の模索、やむにやまれぬ激情にからめとられて破局だけが約束された関係に身を投じずにはいられなかった心の在りようを思うとき、何度この作品に触れても、心を焼き尽くされて私は平常心ではいられなくなる。
一度余裕がある時に、沢木耕太郎氏の「壇」と並行して精読してみたいと思っているのだが、やはり平常心を保つことはできないだろう。冷え込む夜に、完治したはずの古傷がうずくように・・

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