『劇的なる農』
行動派の作家として知られる立松和平さんの本を読んだ。
「農業はたえず移ろいゆく美しい舞台である。
私たちをとり囲む田んぼや畑は、真っ先に風景の彩りを映す。冬枯れの景色の中に地中から湧き出すかのように大地が草の緑に染まっていき、やがて一面に水が張られる。山野が輝き始めるのだ。太陽の光、月の光、空の光が水に映り、光は山野に満ちるのである。 これが私たちの国の春のことぶれだ。」 -本文より
現実の農業の現場は、天候に左右される不安定さや煩雑な作業、夏の暑さや冬の寒さの中で行われる苛酷な一面もあるだろう。しかし、人間が生きる上での基本中の基本である“食”を支える唯一の産業である“農”をないがしろにしている今の日本の状況は非常に不合理であり、不安定であり、破滅的ですらあると思う。
国土の大半が山で平地が少ないこの国で、長い長い歳月をかけて我々の先祖が作り上げてきた稲作の舞台、丁寧に造られたたくさんの田んぼが消滅しようとしている今。
気鋭の作家がコメ作りの現場に立会い、また全国の農村をたずねて歩いた記録であるこの作品は、都市生活者が“農”の現場を垣間見るための手ごろな指南書だ。
『劇的なる農』
立松和平 著
ダイヤモンド社 刊
1999年5月 初版発行
食料自給率が40%を割り込み、国際的なトラブルが起こればいつ何時食糧危機に見舞われるかもしれないという状況にありながら“減反政策”でコメが作らないようにし続けているのはなぜなのか。この国の津々浦々にあった水田は、治水ダムよりも遥かに優れた水資源の涵養能力を持っているのに、それをどんどん無力化して、巨大なコンクリートの構造物を作り続けているのはなぜなのか。
極にゃみ的にはわからないことだらけの今の日本だけれど、田植えが終わり、すくすくと稲が育ち始めた青田の美しさを見るにつけ、自分は農耕民族の末裔なのだと感じる。
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