『味噌大学』
味噌に興味があったので紐解いてみた本だが、なんとも面白い。このナマイキそうな小坊主ちゃんが著者の御幼少の砌のお姿であるが、三つ子の魂百までという言葉を思い浮かべて笑ってしまった。
1903年生まれの三角寛氏は、大学卒業後朝日新聞社に入社し、事件記者として世間を騒がせた「説教強盗」の報道で注目された。その後、謎に包まれた漂泊の民“サンカ”をテーマにした小説で人気を博した。サンカ小説に関してはいろいろと手厳しい批判があるようだが、読んでいないのでそれには触れない。本書は、子供時代から母に味噌や漬物の作り方を習い、帝都(!)のエリートサラリーマンでありながら味噌作りを続けてきた著者が味噌への熱~い思いを書き綴ったもの。旧仮名遣いの文体そのままの価値観(!?)なんかも非常に強烈で面白い。少々抜粋してみると、
「今どきの月給貰ひ共は、女房を朝寝させておいて、寝巻で見送りさせ、自分は会社で牛乳とパンをかぢって喜んでゐるさうだ。私には死んでもかかあを寝せておいて、パンを会社でかぢるような不見目(みじめ)なことは出来ない。」
「私は十一歳の時に発心出家して小僧から叩き上げて来た坊主であるから、飯焚きや味噌汁づくりは、お茶の子さいさいである。今どきの女どもは、米の研ぎ方や水加減など知りはしない。それについては女たちよりも私の方がはるかに上手である。」
が、自分で飯焚きをしてしまうと、
「これでは、女房や女中たちは何のための存在か意味が薄れる。それで、その実存価値を認めてやるためにも、なるたけ空腹をぐうぐう鳴らして、起き出すのを待ってやらねばならない。人生は最期の最期(←原文ママ)まで辛抱である。」
なんでそれほど辛抱して待たないといけないかというと、このひとが朝の3時に起きちゃうからなのだ。
「東京などの都会地は人間の寄せ集め場所であるから人間も屑の集まりだ。分けても都会の婦人や女子供ほど物識らずはいない。」
婦女子は物を識らず、ものの味もわからず、力もないから味噌や漬物を作るのはどだい無理なのである。
「漬物や味噌は、元来が男の仕事だ。重い重石を抱へたり、大豆搗きなどは女には無理だ。」
味噌作りも漬物も彼は母から習い覚えたのであるが・・。
「それで私が常に思ふことは、今の女はダメだなあ。といふことである。味噌も作れないで、よくも嫁入りして子供だけは作れるものだと寒心(←原文ママ)する。」
つまりマザコンといふやつだな、今風に言ふと・・。べつにいいけど。
戦の最中にろくな食事もできなかった義経が、そこらの畑に生えていた大根を抜いて、落ちていた擂鉢で素早く大根おろしを作り、醤油がなくても塩で味をつければいいと弁慶に教えた。義経ほど素早く出来ない弁慶は大根を噛みくだき、吐き出して大根おろしを作ったというエピソードを紹介して
「これでおしへられることは、人生の知恵である。」
いやだー。おしへられたくないんですけど~そんな大根おろし~・・
・・んで、改行して唐突に
「山の遭難者たちが、知恵おくれの馬鹿な人間ばかりであるから、塩の用意など、皆が怠ってゐる。塩さへ持って居れば、飢ゑて死ぬやうなことはないのだが、さて、その塩の活用方法も知らぬ腑脱輩(ふぬけども)が死んでゆくのだ。
何のために、山へなど出歩くのか知らぬがたいていは死にに行くためであらう。腑脱は業で死ぬやうになってゐるのだから止めることもできない。」
って文節に続く。明治生まれのインテリからすると山にだって大根畑くらゐあって擂鉢くらいは落ちてゐるってのが常識!なんだらうか・・。
それはさておき、このひととは絶対に性格合わなさそうだけど、味噌&漬物のレシピはすごく美味しそうだ。このひとの娘に生まれなくてヨカッタとは思うけど、このひとの作った味噌と漬物は食ってみたい・・。よくよく読んでみると、なんだかお茶目で面白いひとなんだよなー。シリーズで『つけもの大学』ってのもあるので、それも読みたいなー。
『新装版 味噌大学』
三角 寛 著
現代書館 刊
2001年11月 第1刷発行
(初出・文藝社 1969年刊)
※巻末には以下のような脚注が付されている。
*文字表記は底本のままである。
*本書中には、今日の人権意識からみれば差別的表現として、不適切と思われる用語が見受けられますが、時代的背景と著者が差別助長を意図して使用していないことなどを考え合わせて、そのままとした。
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