キャナルプロムナード
神戸港のルーツとも言える「大輪田泊(おおわだのとまり)」。
平安末期の治承4(1180)年に平清盛が京都から兵庫の福原へ都を移したときに整備に着手。のちの鎌倉時代には「兵庫津」と呼ばれる国内第一の港に発展したという歴史ある「大輪田」の名を冠する大輪田橋。
大正13年竣工の風格ある橋だが、1945(昭和20)年の神戸大空襲のときには水を求めて殺到した多くの人々が落命したという悲劇の地でもある。また、1995年の阪神大震災では親柱が崩落したが、橋本体の損傷は少なく、その姿を今に伝えている。
橋の北側には水門が設けられ、兵庫運河と新川運河の境界を成している。この両運河は全長3km、日本で最大規模の運河となっている。
新川運河沿いには遊歩道が設けられ、「キャナルプロムナード」と呼ばれる憩いの場となっている。
なんでかこの頃、ミョーに兵庫あたりにご縁があるにゃみにゃみ。なのであった。
このへんは、カルパッチョさんの専門領域。かなり特殊な構造物で、運河上で回転する鉄道橋梁。歴史的遺物であるらしい。
平安末期の治承4(1180)年に平清盛が京都から兵庫の福原へ都を移したときに整備に着手。のちの鎌倉時代には「兵庫津」と呼ばれる国内第一の港に発展したという歴史ある「大輪田」の名を冠する大輪田橋。
大正13年竣工の風格ある橋だが、1945(昭和20)年の神戸大空襲のときには水を求めて殺到した多くの人々が落命したという悲劇の地でもある。また、1995年の阪神大震災では親柱が崩落したが、橋本体の損傷は少なく、その姿を今に伝えている。
橋の北側には水門が設けられ、兵庫運河と新川運河の境界を成している。この両運河は全長3km、日本で最大規模の運河となっている。
新川運河沿いには遊歩道が設けられ、「キャナルプロムナード」と呼ばれる憩いの場となっている。
なんでかこの頃、ミョーに兵庫あたりにご縁があるにゃみにゃみ。なのであった。
このへんは、カルパッチョさんの専門領域。かなり特殊な構造物で、運河上で回転する鉄道橋梁。歴史的遺物であるらしい。
大輪田線そのものが特殊で、2駅しかない支線なのだが朝夕の通勤時間にしか運行されない。というわけでまだ一度も乗ったことがない。いっぺん乗ってみたいんだけど。
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