恐怖という感情
『サバイバル!』の中で、著者の服部文祥氏はこのように述べている。
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怖いという感情は、否定されがちだ。現代社会で弱虫は人格の評価としてはマイナスである。だが、怖い、ということを正しく認められること、これは登山の重要な能力である。
・・・中略・・・
センサーは恐怖というシグナルでハザードの存在を教えてくれる。「君子危うきに近寄らず」。
ヘビを見たら毒ヘビと思って避けておけば、ヘビに噛まれて死ぬことはない。だがそれではいつまでたってもヘビの蒲焼きにはありつけない。いちばんうまいヘビはマムシである。安全を過剰に求めることは、未来の可能性も失うことにつながっている。
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過剰な恐怖心の克服は私にとって、大事な課題のひとつであるとはわかっているのだけれど・・・
私はとてつもない怖がりである。そのくせ、単独行はよくやる。しかも、ヒトの近寄らないようなところにしばしば足を踏み入れる。そんなとき、万一動けなくなるような怪我でもすれば、まず発見してはもらえないので、非常に慎重だ。
先日、誰もいそうにない急な斜面をくだっていて、怖いのでほとんど這うようにしか進めなかった。ところが、後ろにヒトの気配を感じたとたんに、ほいほいと足が進むようになった自分に驚いた。センサーってそういうふうに働くんだなー・・
私のビビリは、安全を過剰に求めているんじゃなくて、自分を信用してないだけのような気がするけど・・。ま、どっちにしても困ったもんではある。
↑のゴルジュはなかなかシブかった。とてもヒトには見せられないビビリ歩きだったけど・・。
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コメント
にゃみにゃみ。さん、こんばんは~♪
たしかに私も単独で人気のない山行そうした経験よくあります。登りは怖くないのだが下りの足下が悪いところなどは何時も怖い
夏もあるコーチさんに言われた「あんた登りと下りは別人みたいやね(笑)」と・・・
今蓬莱峡で緩斜面をアイゼンで下る練習をしてるが20名ほどの中で私が一番怖がってまともに下れない。
確保ザイル無しのフリーで降りてる人も半数以上居るのに・・・
よくまあ確保ザイル無しで歩くものだと 万が一アイゼンを引っ掛けたり躓いて前のめりに落ちたらそのまま数十メートルも下まで落ちるのにと考えてしまう
そうした事は滅多に起きないだろうがゼロでは無いと考えてしまうから 登りはトラぶっても簡単に手を着けるからそうした不安がないから楽に進める
病的なほど下り恐怖症なんです。何かいい方法無いのかなぁ(-_-;)
投稿: じゅん | 2008年11月28日 (金) 21:21
じゅんさん、こんばんは。
>そうした事は滅多に起きないだろうがゼロでは無い
>病的なほど下り恐怖症なんです。何かいい方法無いのかなぁ(-_-;)
私も全く同じです。ってーか、ちょっと前のじゅんさんの日記を見て、「うわー、同類!」って思ってました。
何かいい方法・・は、慣れるしかない!?のでは。
場数を踏んで、ここまでならOK!ってレベルを自分なりに少しずつでもUPしてくしかないのかなって思ってます。恐怖感って、そう簡単になくせないし、「減感作療法」が唯一無理のない方法かなって、甘いかもしんないけど思ってます。が、しかし・・・
男性が「怖い」っていうのはとても勇気がいることなんでしょうね。
・・でもそれは、本能のセンサーだから、みえとかで無視しちゃダメだと思うんです・・。違います?
投稿: にゃみにゃみ。 | 2008年11月28日 (金) 21:33