『サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか』
前著『サバイバル登山家』を読んで、「うーん・・すごい兄ちゃんや」と思ったが、その“すごさ”の根底にある思想的な部分をきっちりと書いたのが本著ではないかと思う。
極にゃみ的にはけっこう、タマシイ揺さぶられちゃったかもしんない。ごちゃごちゃ書くより一部を抜粋してみる。
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登山は判断の連続で成り立っている。なのに登山者の目に、判断の正誤が見える形であらわれるのは、致命的に誤っていたときだけだ。正しい判断にご褒美はなく、生存という現状維持が許される。小さな失敗は見えない労力や苦痛になって返ってくる。そして決定的な失敗をしたときに、登山者は死という代償を受けとることになる。
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現在は境界線が見えにくい時代である。カラクリや基礎理論すらわからない道具やシステムが生活のなかに溢れていて、どこまでが自分の能力で、どこからが機械のおかげなのか、われわれはもはや思いめぐらしさえしない。・・・中略・・・
都市型生活というシステムのなかで、便利な道具を使いつづけ、世界と個人の境界線は曖昧になってしまった。われわれは生命体としての自分の能力に目を向けなくても生きていけるのである。・・・中略・・・
身体から道具をはずせば、おのずとその境界線は明確になっていく。便利な道具をつかわずに、登れないところを登れるようになるには、自分を鍛えて自分の能力を上げるしかない。フリークライミングの精神とは、登るということを突き詰めることで、もう一度、命の境界線をハッキリさせようということなのだ。
その延長で私は「サバイバル登山」に行き着いた。・・・略・・・
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登山に遭難する確率がなければそれを登山とはいわない。死ぬ可能性がないものを命と呼ばないのと一緒である。生 + 死 = 命。
「遭難しに行って、遭難しないように帰ってくるのが登山です」
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“思想”についての記述もとても深みがあっておもしろかったが、方法論についての部分も面白かった。山屋・釣り屋にとってはいろいろ刺激があると思う。
『サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか』
ちくま新書751
服部 文祥 著
2008年11月 初版発行
ひとつ・・身近な山屋さん、特にゲレンデ派ではなく開拓系のクライマーのモチ?価値観?って、私には全く理解できないものがあったのだが、本書を読んで少しだけわかったような気がした(賛同ではない)。価値観は人それぞれだから、ゼンゼン違うかもしんないけど・・ 248Pですがね。
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