『なんで山登るねん』・・・
単行本になったのが1978年だから、もう30年も前に刊行された本を貸していただいた。1975年から3年間にわたって「山と渓谷」に連載されたエッセイをまとめた一冊。
剱で、黒部で、コンピラで、カラコルムで・・いろんな山登りのエピソードが語られているが、どこを読んでもまったく古びた感じがしないのは著者の感性の問題なのか。
以下引用***
つまり、岩登りというのは、山登りの一分野で、山頂へ至る手段としてのみある。山へ至る途中に岩壁があっても、横にブッシュがあったら、そっちを登ったらよい。けれども、時として、どうしても登らねばならないかも知れない。その時には登りうる技術は持っている必要がある。そのためのトレーニングは必要だ。
今の時代に、こんな事をいう人はもういないと思います。でもそういう発想はやっぱりあるようです。たとえば、山頂につながらない岩登りは崖登りで、岩登りではない。あるいは、アルプスで初めて岩登りができる、などなど。
でも、ぼくが思うには、五メートルの岩でも、それを登ったら岩登りではないかしら。草原の真ん中の岩塊でも、登りたくて攀ったら、やっぱり岩登りに違いありません。そして、それで楽しくて、感じたら、それでよい。そう思います。
岩登りは、理屈じゃない。フィーリングでやるものだと思っています。
***
「フィーリング」って表現に時代を感じるけど、まさに現代的な感性かも・・
あの『白きたおやかな峰』に出てくる“竹屋”サンはこの著者がモデルだったんだなー、とか、上記引用を読んであの“困った”迷著『完本・山歩きの作法』を思い出して、あー、そーゆーヒトがやっぱりいるのね、と思ったり。
フィックスドアイデアから脱却し、自由な感性で、ココロのままに山で遊ぼう。
『なんで山登るねん -わが自伝的登山論』
高田 直樹 著
山と渓谷社 刊
1978年3月 初版第一刷発行
| 固定リンク
コメント
わッヒィ~ん!にゃみにゃみ。さんこんばんは。ほんどテンの漢字はこれでよいのかしら?
この本新装版第一刷1995.4.1で持っています。真(まさ)にそのとおり。
>岩登りは、理屈じゃない。フィーリングでやるものだと思っています
わたしは、もともと「(自分の)自由な感性で、ココロのままに山で遊んでます。」
山スキー、沢登り、登攀、そしてう~んこれを書いていいのかな・・・・山に入って何もしない、マッタリだぁ~い。(自分で言うのもなんですが、ほんまプッツンしてますね。)
この本、続、続々と新装版が刊行されましたが購入しました。
記憶は、おぼろげでですが「続々」の方は当時リアルタイムで連載を読んだような記憶があります。
五葉の泉でした。
投稿: 本土貉 | 2009年3月18日 (水) 22:29
本土貉 さん、お久しゅうございます。
漢字がコレでいいかどうかって、私にはよくわかりませんが、いいと思いま~す!!
>新装版第一刷1995.4.1で持っています。
さっすがー!!
第一刷をお持ちなのはかなり値打ちがありますです!!
>わたしは、もともと「(自分の)自由な感性で、ココロのままに山で遊んでます。」
そうなんですね。ココロのままに・・
なんだか、断片的ですけど、
古い系の山屋として、ホンドテンさんの感性は好きです。
ココロのままに・・が大事ですよね。
行き詰って、思い悩んで・・、プラスチックとハイキングでいいや、と思ってた昨今の私ですが・・。
が、
いろんな方が、いろんなふうに慰めてくださるのにとてもなぐさめられています。
メールでメッセージくださった方・・とか。ホントありがとうございます。
一番ココロに沁みたのは・・
「山は好きなようにすればいいから」
ちょっと酔っぱらってるメールだったんですけど、うるうるしちゃったな。送ったヒト覚えてないかもだけどw
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月18日 (水) 22:48
思い悩むことなどありません。
わたしは山を選んだ。
あきらめない限り夢は生き続ける。
がっ!
夢は夢だ。
実行すべし。
結果ばかり考えるな。
超カメレスで失礼しました。
投稿: 五葉の泉 | 2009年5月 8日 (金) 01:32
五葉の泉さん、こんにちはー。
超カメレスでも、
ぼくとつでも、
五葉の泉さんのことばはなんだかじわーっと沁みます。
ここのところ、あまり山には行かないで、
古い山の本を読み返したりしています。
案外そういうのも好きです。
運動不足はどうにかしないとだけど
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年5月 8日 (金) 08:48