「岩征服」かぁ・・
昨日(2009年3月7日)の神戸新聞夕刊のトップに、 北山公園のボルダリングが 紹介された。地方紙とは言え、一面トップでっせ
先週日曜日に行われた「清掃登攀」を取材したもので、ボルダリングについていろいろと紹介。
けど・・「素手で岩征服」かぁ・・
どうして一般のヒトって、登山とかクライミングを「征服」って表現にしたがるんだろうな。クライマーで「この岩を征服してやる!」なんて思って登ってるヒト、いるのかな。単に山や岩で遊ばせてもらってるだけなんだけどな。
マナー問題等にも触れ、『同団体(注:ボルダリングサークル関西)は「新たに始める人はマナーや安全についても学んで欲しい」と呼び掛けている。」とくくられ、好意的な取り上げ方ではあるんだけど。
記事全文を紹介されているサイト「Mrビーンズのマメマメ日記」・・ココ!
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コメント
征服の語は古くから今も西欧的な表現です。おっしゃるように日本では自然と一体になる心の持ち様が薦められています。しかし、何々ルートを落とした!という表現がクライマー間では通常です。小生は登れたと表現します。それもマスタースタイルでとかオンサイトとか、出来る限りよりよいスタイルを取ろうと努めます(一人の時はトップロウプで練習もしますが)。アルパインルート然りで、できるだけオリジナルルートを登ります。そして、征服したとは思いません。勝った選手の大げさなガッツポーズは自然でいいと思う人が多いでしょうが、小生はそれをかすかに示す程度の方に好感を持ちます。大相撲ではそれも厳禁ですね。それが伝統的な日本人の勝者の心構えでしょうか。
投稿: 山頂 | 2009年3月 8日 (日) 19:53
山頂先生、こんばんは。
ヤハリmr.論理・・・(^^ゞ
>しかし、何々ルートを落とした!という表現がクライマー間では通常です。
人間が勝手に設定した「課題」なり「ルート」を“落とした”というのと、山なり岩なりを“征服”というのは全く違う系列の思考だと思います。
ヒトが、どんなスタイルで登ろうと、山にも岩にも何の関係もないし、それはヒトの自己満足に過ぎない・・と私は思うのです。
>日本では自然と一体になる心の持ち様が薦められています。
「薦められている」のではなく、価値観の問題だと思います。
「薦める」主体は誰でしょうか?倫理や教育の問題ではなく、感覚、あるいは感性の世界ではないかと。
「勝者」は、ヒトが設定した“競技”の勝者ですね。派手なガッツポーズ、いいと思いますよ。リードコンペで完登して、ガッツポーズで下ろされていく競技者、見てて気持ちいいです。大相撲はちょっと、お作法がありそうなので話は別ですけど。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月 8日 (日) 20:54
ボウルダーにもルートが設定されていて、ルートクライミングとはロウプやプロのありなしとの違いだけで、どちらも征服と西欧では言うのでしょう。高峰の初登頂では元々ルートが無いところを登るのですがこれも征服といいます。小生が言うのは征服したと言うか、登れたと言うかの違いだけです。小生らのソスブンブラックもアラーのお蔭で登れたと考えています。「自然と一体になる心の持ちよう」が薦められると書いたのは、この国の登山が宗教登山から始まってそれが全国的に広まった歴史を踏まえています。ここでは御仏たる霊山に抱かれる結果が尊ばれたとおもいます。遊びの登山は江戸期に始まりますが、そこでも征服したという心象を人々が抱いたとは物の本にはありません。たしかに、一体になる気持ちを持つのがいいのですと誰かが言ったということは無いかも知れませんが、一般的にそう考えられていると言い直せばいいでしょうか。大相撲に限らず武道ではそう遠くない昔、勝者が勝ち誇るのは、はしたないと考えれれて来たと思います。勝敗も天の配剤というのでしょうか、運良く勝者たり得たとすれば勝利を喜んでもいいが、勝ちを誇るのは滑稽だと言われても仕方ないでしょう。両者に日本的な考え方の共通点が見えるとおもいます。
投稿: 山頂 | 2009年3月 8日 (日) 22:40
>物の本にはありません。
このあたりがやっぱ山頂センセですね
>一体になる気持ちを持つのがいいのですと誰かが言ったということは無いかも知れませんが、一般的にそう考えられていると言い直せばいいでしょうか。
言い直すとかってそういうことではなく・・・
私の個人的な感じ方を書いただけです。
べつに論争をふっかけてるわけではありません。
もしそのように受け取られたとしたら失礼しました。
単に、よくマスコミが使いたがる「征服する」という表現に違和感を感じる、私の感性とは違う、って言いたかっただけです。
歴史を踏まえての話でもないし、ごくごく感覚的なことだったんですけど・・
ちなみに、「Break-through」の山野井さんのインタビュー記事のリードは「山と一体になるために」ですね。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月 9日 (月) 08:20
ニャミニャミ様。酔っ払って書きましたのでもう1点書き忘れは、「落とす」は「城を落とす」「容疑者を落とす」「頂上を落とす」等に使われるので、「何々ルートを落とした」とは征服したという意味が含まれると考えるべきだとの点です。
投稿: 山頂 | 2009年3月 9日 (月) 11:19
>、「何々ルートを落とした」とは征服したという意味が含まれると考えるべきだとの点です。
もちろんその点は理解しています。
その上で、
>人間が勝手に設定した「課題」なり「ルート」を“落とした”というのと、山なり岩なりを“征服”というのは全く違う系列の思考だと思います。
と書いたのです。
城は「落とす」でいいですが(人間の領域だから)、頂上を落とすという表現は、古今東西の例はさておいて、私の感性では違和感がある、好まない、という話です。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月 9日 (月) 11:38
分かりました。征服するなんて考えるクライマーが居るのかな?とのお言葉でしたので、クライマーは「落とす」と云うけどと書いたのですが、ニャミニャミ様は、「クライマーが言葉を間違って使っているのかナー」とお書きだったのだと解釈して置きます。長々と時間を取らせました。
投稿: 山頂 | 2009年3月 9日 (月) 11:48
>征服するなんて考えるクライマーが居るのかな?とのお言葉でしたので、クライマーは「落とす」と云うけどと書いたのですが
一昔前までの本などには「頂上攻略」「征服」などのことばがよく見られたかもしれませんが、今、人間が拓いたルートや課題に対して「落とす」と表現しても、山そのものや岩に対して「征服した」という感性を持つクライマーってどのくらいいるのでしょう?
私の個人的な感性ではありますが、時代の感性とそうかけ離れていないと思います。
登山者、あるいはクライマーの今風の感性と、一般の報道関係者の表現が異なることに違和感がある、ということを書いたつもりなんですが・・
なかなか思っていることがうまく伝えられないのは、私の立場としては大問題ですね。自分の筆力のなさを痛感しました。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月 9日 (月) 12:06