その如月の望月のころ・・
今日は満月。旧暦の2月だから、かの西行法師が「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」と詠んだその頃。
西行は73歳まで生きたが、この歌を詠んだのは60代の半ばだと言われている。如月15日は釈迦入滅の日であり、西行が生きた平安時代にはすでにお釈迦様を偲ぶ「涅槃会(ねはんえ)」が行われていたそうなので、単に美しい花の頃に・・というだけでなく出家者としての宗教的な意味合いもあったのだろう。ところで、温暖化で花の開花が早まっている現代でも、まだ桜はほとんど咲いていない。今一般的な「ソメイヨシノ」はヤマザクラなどの自生種に比べて開花が早いが、まだまだ桜便りは聞こえてこないし、第一当時ソメイヨシノはまだない。平安時代の人々が思い浮かべる桜って、どの桜なんだろう?
今頃咲いているとすればカンヒザクラ(下の写真)が思い浮かぶが、死に寄り添うには少し華やか過ぎるように感じられる。西行法師は歌の通り、文治6年の2月16日に亡くなったが、その死を看取ったのは何桜だったんだろう。
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コメント
当時の花といえば梅だったと記憶してますが。
投稿: 山頂 | 2009年3月13日 (金) 10:42
山頂先生、こんにちは。
奈良朝時代には、「花=梅」だったのですが、平安朝の頃から次第に「花=桜」へと価値観が移行するようです。
なので、西行が詠った「花」がどちらなのかは微妙な問題なのですが、現在、大半の解釈は「桜」のようです。
一部「梅」説を唱えるかたもおられるようですが・・
尚、さらに調べてみたところ、
(旧暦)文治六年(1190年)二月十六日 → 新暦 1190/ 3/30
だそうです。花の時期としては桜は咲いていたと考えていいのではないでしょうか。
気候変動の研究では、当時は今より少し温暖であったそうです。
事実がどうであれ、死を看取る花として、梅よりは桜がふさわしいと私は感じます・・理論とか理屈ではなくて感性の問題で。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月13日 (金) 11:08
そうでしたか。小生の記憶は奈良時代のことでしたか。
西行が桜を歌ったのが多くありますし、当時が温暖だったなら、それが分かったのは花粉分析でしょうから最近のことで、梅説は分が更に悪くなってるかと推定します。有難うございました。
投稿: 山頂 | 2009年3月13日 (金) 21:24
山頂先生、こんばんは。
梅説もありますし、さらには沙羅双樹説まであるみたいですよ。
でも、古典の世界なんてロマンですから、小難しいことはさておいて、自己解釈でいいんじゃないですか。
死に顔に舞い散るはなびらが、清楚で淡い面影の桜ならステキだなー・・ってイメージが私には浮かんだ・・それだけでいいと思ってます。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年3月13日 (金) 23:20