『俺は沢ヤだ!』
なんだか、山に行かずに本ばかり読んでるとてもくだらんヤツって気がしてきたけど・・まぁそういう時期もあるやろ。自宅でシゴトだと本を読む暇はないけど、出動すると電車移動中に読めるからなぁ・・というワケで、続けて読了したのがコレ。
「岳人」の連載記事に大幅に加筆して編集されたもので、日本で(ということは世界で?)トップクラスのアグレッシブな沢ヤの足跡を垣間見ることができる一冊。限りなく不可能に近い領域の大渓谷の遡行記録は、なまじ沢をちょびっとかじっているだけにドキドキしてしまう。
[“単独行の歓び”から]
もう引き返せない一歩というものがある。例えば、プロテクションの見込みのない壁の真ん中で、微妙なスラブの一歩を踏み出すとき。岩棚から流芯を飛び越えてダイブし、暗いゴルジュの只中に突入するとき。戻れる可能性が絶たれる一歩の重みは、たとえようのないほどに大きい。単独行であればなおさらだ。
そこは、現実と非現実との境界線。一歩踏み出せば、日常のなじみの世界から自分の存在が消えたような孤独感を憶える。
・・・(略)・・・
真夜中一一時。ゴルジュを抜けたささやかな河原で淋しく火をたきながら、なぜ僕をこの世界に帰したのか、と谷に尋ねる。何も聞こえてこない。答えが返るまで僕は何度も疑問を投げかける。孤独な谷の夜は、ゆっくりと更けていく。
[“あとがき”から]
もちろん僕も、二酸化炭素をまき散らして車を乗り回し、快適な住宅に住んで現代文明の恩恵をたっぷり受けているひとりだ。コンビニを頻繁に利用し、ファストフードの匂いにつられ、肌を露出したお姉さん達に見とれて、けつまずいたりもする。それはわかっている。それは承知の上だ。だが、本当に科学技術の発展によって人類や地球の未来が拓かれるのだろうか。心の奥底で、何かが訴えている。どこか違うぞ、どこか嘘っぽいぞ、と。
・・・(中略)・・・
今の生活水準に固執したまま地球環境を論じることなど虫が良すぎる話だ。かといって、安易に過ぎ去った時代を賛美することも慎みたい。貧困や差別が横行していた。争いも多く生まれてきたことだろう。だが僕らは、一度それを経験してきた。二度目はそれを、克服できるはずだ。一度手に入れた物質的な豊かさや便利さを再び手放していくのは簡単なことではない。だが、一歩、また一歩と、それを重ねていかなければならない時が来ている。真の豊かさとは何か、美しさとは何か。沢登りという行為が原始的であればあるほど、僕にとってそれを教えてくれているような気がしている。
『俺は沢ヤだ!』
成瀬陽一 著
東京新聞出版局 刊
2009年3月 初版発行 なっちゃん、ありがと。いい本だった!
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コメント
いい本いろいろ読めていいね!
で、にゃみちゃんは「何ヤ」?
投稿: ツボ | 2009年6月21日 (日) 16:08
お気楽ハイカー。
“山ヤ”とは口が裂けても言えない状況になってきた・・
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年6月21日 (日) 23:02