蓬莱峡界隈ちょいと歩き
船坂までおでかけのあと、1時間に2本しかないバスを待つより歩いて帰ろ♪
・・ってコトで、船坂集落から大谷乗越へ続く車道を登って、ハニー農場から座頭谷の源頭へ下る。このコース、何度か登ってるけど、下るのは初めてで、しかも長らく来てないので、降り口でウロウロ・・まぁちょっと行ったら記憶が甦って無事に河床へ降り立ったけど。とある花に会いたかったこともあって来てみたんだけど、ちょっと遅かったかな。2種とも出会えずじまい。
こんなコース、誰にも会わないし、道標もろくにない。かすかな記憶を頼りに座頭谷と大谷乗越の出合へ。ちょこっと歩きたかったので、長モッコ尾根から縦走路へ登ることにしたが、取り付きで踏み跡がわからなくてウロウロ・・こんな歩きなれたところで。山ヤ引退状態の間にヤキが回ったか?
途中シダが繁茂しすぎてワケのわからんパートもあったが、さすがによく知ってるコースなので尾根に乗っかったあとはなんとか踏破。けど、こんな人の来ない場所で、もしも何かのはずみで歩けないような事態になったらどうするや?・・と悪い想像がアタマをよぎる。
実は、私はいつだってそう。
単独行をよくする割に、いつも“最悪”のことを考えてしまうのだ。
こんな場所、誰かが偶然通りかかるなんてことはまず期待できないし、急激に冷え込んでるから寒冷環境にカラダが順応できていない。今日はハイカーモードだけど、山ヤの常識としてヘッデンやエマージェンシーブランケットは当然持ってる。でも動けなくなった状態で一晩(とは限らない?)過ごすのはかなり辛いだろうな~、なんてことを考えながら独り歩く。
歩きながら考える。なのになんでこんなことを好き好んでやっているのだろう。
多分、山の中をうろうろ歩いているのが心地よいのだ。それが槍穂や剱でなくて、こんなヤブ山でも。
けど、ヒトって致命的でない範囲でのリスク(=スリル)が好きなのかもしれない。人によってその範囲だとかレベルがゼンゼン違うんだけど。
私はリスクが(自分にとって)一定以上だと本能が拒否るというか、リスクの許容範囲が非常に狭いのだが、ヨノナカにはそのレベルが違うヒトがたくさんいるんだよなー・・とんでもないところでフリーソロやっちゃうヒトとかのモチベーションは、単なる自己顕示欲や名誉欲だけではないと思う・・
今日のコースは、相対的な危険度は非常に低いので(要はキケンな場所はない)、許容範囲だったワケだが、もしも“何か”あったらどうにもならない場所ではある。でもケータイは圏内の場所がそこそこあったから、何かあっても死なないと思うけど。
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コメント
こないだ 落石回避骨折の時・・
実は 日没 下山できずに 美バーグやってん。
ツエルト巻でも寒かったから レスキューシートの
人は さぶかったろうにね。
一番 さぶそうやったのは 防寒用に 沢スパッツ
からだに巻いて 寝てる人やったわ(笑)
投稿: やっすん | 2009年11月 4日 (水) 08:37
>沢スパッツ
>からだに巻いて 寝てる人やったわ
うっわー。それ、巻けるような気がしないのですが・・
さぶそー・・・
巻けるもんはなんでも巻くぞってイキオイが大切ですね(?)
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 4日 (水) 08:40
いつも臆病だったり、自然が造りあげた「物」
に、いつも畏敬の思いを持ち続けたり。
必要以上に敏感な思いとか、大事だと思いますよ。
それに、子供たちにもそんな思い、伝えたいですね。
投稿: hori | 2009年11月 5日 (木) 00:17
horiさん、こんばんは。
>いつも臆病だったり、
>いつも畏敬の思いを持ち続けたり。
じつは私、いつもそうなんです・・・。
>必要以上に敏感な思いとか、大事だと思いますよ。
基本的に鈍感なくせに、必要以上に敏感だったりするけど・・(笑)
そう言ってもらえると少し気が楽・・かも。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 5日 (木) 00:28
敏感と鈍感のコントロールが鍵ということですね!!
ええこと知った~。
投稿: なつ | 2009年11月 5日 (木) 09:51
なっちゃん、こんばんは~。
>敏感と鈍感のコントロールが鍵ということですね!!
コントロールできるならねー

とほほ~
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 5日 (木) 23:26
にゃみにゃみ。さん、こんばんは。お久しゅうございます。
わたしは、かつてnifty.山Fで大きな論議となった「単独行の是非」で何も発言することができなかった者です。
百迷惨や観光地化したような所等を独りで歩いても、それを「単独行」とは個人的には思はないが(西穂~奥穂間もそうだと思う)・・・・・。
単独行には何にも変えがたい大きな「自由」がある。そして、その「自由」に対する「リスク」も比例する・・・でもやめることはできない。
「単独行」・・・・まるで「人生と言う名の劇場」のようだ。観客が自然だ、劇場(人生)そのものが山屋のような気がする。
投稿: 五葉の泉 | 2009年11月 6日 (金) 21:54
五葉の泉さん、お久しゅうございます。
たまーにカキコミを下さる五葉の泉さんですけど、
なんだかとてもうれしくなります。
ありがとうございます。
>百迷惨や観光地化したような所等を独りで歩いても、それを「単独行」とは個人的には思はないが
同感です。
百迷惨、よき表現ですねー
>まるで「人生と言う名の劇場」のようだ。
そうですね・・・
私には、観客がいない(いらない)独り舞台のような感じです。
未踏峰とか、初登とか、グレードとかにこだわるひとは、いくら「それはちがう」って言ったって他人の評価が気になるひとなんだろうと思います。
見られる、注目されることの快感をどこかで感じているはず。
そういうのとは違う価値観が・・・
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 6日 (金) 22:51
対記
わたしの好きな二人が作った歌の「人生という名の劇場」より少し変えて、言葉をお借りしました。残念ながら作曲者は先月亡くなられました。お悔やみ申し上げます。
投稿: 五葉の泉 | 2009年11月 6日 (金) 23:05
私、いま、
「ヴェネツィア」聴いてます。
首のないマドンナ
ハリーズBAR
・・・ぜんぶ好き。
でも じつは
帰って来たヨッパライ も好き・・
投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 6日 (金) 23:17