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蓬莱峡界隈ちょいと歩き

船坂までおでかけのあと、1時間に2本しかないバスを待つより歩いて帰ろ♪0911030112
・・ってコトで、船坂集落から大谷乗越へ続く車道を登って、ハニー農場から座頭谷の源頭へ下る。このコース、何度か登ってるけど、下るのは初めてで、しかも長らく来てないので、降り口でウロウロ・・まぁちょっと行ったら記憶が甦って無事に河床へ降り立ったけど。



0911030115とある花に会いたかったこともあって来てみたんだけど、ちょっと遅かったかな。2種とも出会えずじまい。
こんなコース、誰にも会わないし、道標もろくにない。かすかな記憶を頼りに座頭谷と大谷乗越の出合へ。



0911030120ちょこっと歩きたかったので、長モッコ尾根から縦走路へ登ることにしたが、取り付きで踏み跡がわからなくてウロウロ・・こんな歩きなれたところで。山ヤ引退状態の間にヤキが回ったか?
途中シダが繁茂しすぎてワケのわからんパートもあったが、さすがによく知ってるコースなので尾根に乗っかったあとはなんとか踏破。けど、こんな人の来ない場所で、もしも何かのはずみで歩けないような事態になったらどうするや?・・と悪い想像がアタマをよぎる。

実は、私はいつだってそう。
単独行をよくする割に、いつも“最悪”のことを考えてしまうのだ。

こんな場所、誰かが偶然通りかかるなんてことはまず期待できないし、急激に冷え込んでるから寒冷環境にカラダが順応できていない。今日はハイカーモードだけど、山ヤの常識としてヘッデンやエマージェンシーブランケットは当然持ってる。でも動けなくなった状態で一晩(とは限らない?)過ごすのはかなり辛いだろうな~、なんてことを考えながら独り歩く。

歩きながら考える。なのになんでこんなことを好き好んでやっているのだろう。
多分、山の中をうろうろ歩いているのが心地よいのだ。それが槍穂や剱でなくて、こんなヤブ山でも。

けど、ヒトって致命的でない範囲でのリスク(=スリル)が好きなのかもしれない。人によってその範囲だとかレベルがゼンゼン違うんだけど。
私はリスクが(自分にとって)一定以上だと本能が拒否るというか、リスクの許容範囲が非常に狭いのだが、ヨノナカにはそのレベルが違うヒトがたくさんいるんだよなー・・とんでもないところでフリーソロやっちゃうヒトとかのモチベーションは、単なる自己顕示欲や名誉欲だけではないと思う・・

今日のコースは、相対的な危険度は非常に低いので(要はキケンな場所はない)、許容範囲だったワケだが、もしも“何か”あったらどうにもならない場所ではある。でもケータイは圏内の場所がそこそこあったから、何かあっても死なないと思うけど。

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コメント

こないだ 落石回避骨折の時・・
実は 日没 下山できずに 美バーグやってん。

ツエルト巻でも寒かったから レスキューシートの
人は さぶかったろうにね。

一番 さぶそうやったのは 防寒用に 沢スパッツ
からだに巻いて 寝てる人やったわ(笑) 

投稿: やっすん | 2009年11月 4日 (水) 08:37

>沢スパッツ
>からだに巻いて 寝てる人やったわ

うっわー。それ、巻けるような気がしないのですが・・
さぶそー・・・

巻けるもんはなんでも巻くぞってイキオイが大切ですね(?)

投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 4日 (水) 08:40

いつも臆病だったり、自然が造りあげた「物」
に、いつも畏敬の思いを持ち続けたり。

必要以上に敏感な思いとか、大事だと思いますよ。

それに、子供たちにもそんな思い、伝えたいですね。

投稿: hori | 2009年11月 5日 (木) 00:17

horiさん、こんばんは。

>いつも臆病だったり、
>いつも畏敬の思いを持ち続けたり。

じつは私、いつもそうなんです・・・。

>必要以上に敏感な思いとか、大事だと思いますよ。

基本的に鈍感なくせに、必要以上に敏感だったりするけど・・(笑)
そう言ってもらえると少し気が楽・・かも。


投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 5日 (木) 00:28

敏感と鈍感のコントロールが鍵ということですね!!
ええこと知った~。

投稿: なつ | 2009年11月 5日 (木) 09:51

なっちゃん、こんばんは~。

>敏感と鈍感のコントロールが鍵ということですね!!

コントロールできるならねー
とほほ~

投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 5日 (木) 23:26

にゃみにゃみ。さん、こんばんは。お久しゅうございます。

わたしは、かつてnifty.山Fで大きな論議となった「単独行の是非」で何も発言することができなかった者です。

百迷惨や観光地化したような所等を独りで歩いても、それを「単独行」とは個人的には思はないが(西穂~奥穂間もそうだと思う)・・・・・。

単独行には何にも変えがたい大きな「自由」がある。そして、その「自由」に対する「リスク」も比例する・・・でもやめることはできない。

「単独行」・・・・まるで「人生と言う名の劇場」のようだ。観客が自然だ、劇場(人生)そのものが山屋のような気がする。

投稿: 五葉の泉 | 2009年11月 6日 (金) 21:54

五葉の泉さん、お久しゅうございます。

たまーにカキコミを下さる五葉の泉さんですけど、
なんだかとてもうれしくなります。
ありがとうございます。


>百迷惨や観光地化したような所等を独りで歩いても、それを「単独行」とは個人的には思はないが

同感です。
百迷惨、よき表現ですねー


>まるで「人生と言う名の劇場」のようだ。
そうですね・・・

私には、観客がいない(いらない)独り舞台のような感じです。

未踏峰とか、初登とか、グレードとかにこだわるひとは、いくら「それはちがう」って言ったって他人の評価が気になるひとなんだろうと思います。
見られる、注目されることの快感をどこかで感じているはず。

そういうのとは違う価値観が・・・

投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 6日 (金) 22:51

対記
わたしの好きな二人が作った歌の「人生という名の劇場」より少し変えて、言葉をお借りしました。残念ながら作曲者は先月亡くなられました。お悔やみ申し上げます。

投稿: 五葉の泉 | 2009年11月 6日 (金) 23:05

私、いま、
「ヴェネツィア」聴いてます。

首のないマドンナ
ハリーズBAR

・・・ぜんぶ好き。


でも じつは

帰って来たヨッパライ も好き・・

投稿: にゃみにゃみ。 | 2009年11月 6日 (金) 23:17

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