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小室哲哉さん『罪と音楽』

私はテレビをみないし、Komuro新聞ですら地方紙を数日遅れで読むような浮世離れした生活をしているので、世間のことには疎い。それでも、この世界的に著名な音楽プロデューサーが音楽著作権売買を巡る詐欺容疑で逮捕されたことは知っていた。が、その事件の詳細は未だに知らない。
けれど、たまたま本書を手に取って、この“音楽しかない”人の心のうちは、ほんの少しだけ理解できた。それは、私が知っているある種のクライマーなんかととても似ている。
世間的な常識をわきまえないことを容認するつもりはべつにないが、特定の領域に突出する“天才”って、普通の人が普通に理解できることが理解できなかったりするのだ・・・。




『罪と音楽』
小室哲哉 著
幻冬舎 刊
2009年9月 初版発行

198円の菜っ葉を買おうか買うまいか悩んで、結局158円になっているちょっとしなびた古いヤツをレジへ持っていくようなショボい生活をしている私からすると、ケタが違う話がここでは展開している。けれど、だからと言って桁違いの浪費に対して「それはアカンやろ」とは思わない。だって世界が違うんだから。同時代を生きていたって、世界が違うってことは普通にあるものだし。べつに細かい価値観が一致する必要なんてないと思うのだ。

小室さんは、音楽で立身しようと思い、それをかなえた。
そのプロセスについて、次のように書いている。

①出会い
②衝撃
③憧れ
④観察
⑤真似
⑥分析
⑦応用
⑧自在
⑨個性
⑩放出

ね、似てるでしょ。「道」に。ナニの、って限定しなくても。
感受性がという才能があるからこそこれらのプロセスが成立する。そういうことなんじゃないかな。この稀有の才能が、今後もよき仕事ができますように。

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