「自死」を考えるとはどういうことか
友人に刺激されて、最近“生きるということ”について考え続けているのだが・・そんな中のひとつの素材として、須原一秀氏の著作『自死という生き方 ~覚悟して逝った哲学者』を読んだ。「大衆に向けて書かれた」「平易な文章」とのことだったが、極にゃみ的なアタマでは理解が難しく、読了までにものすごく時間がかかった。
要は、老醜や病気はイヤだ。自分でコントロールできなくなって醜態をさらしたり、七転八倒の自然死を迎えるくらいなら、自死できる程度に元気な間に覚悟を決めて死んでしまうほうがいい。世間では自殺は悪いこととされているが、その認識を改めるべきだ、という主張かな?そしてその主張通り、著者は65歳で自死を遂げる。
「葉隠」を引き合いに、「新葉隠」的「老人道」を提唱するあたり、“道に殉ずる男のロマンチズム”みたいな感じを受けるのは私だけだろうか。
私自身は「受動的な死を結果的にに受け入れるという無自覚」を悪いことだとは思わないし、「老い」が醜いものだとも思わない(思わなくなってきた)。
山ヤなんてやってると、「ひとつ間違ったら」あるいは「ココで吹かれたら」死ぬかもなーって思う局面はいくらでもある。だから、一般的な現代人とは「死」についての感受性が違うのかもしれないけれども。
治る見込みのない病状下でのムダな延命治療はべつにして、どんな死に方でもべつにいいんじゃないかと私は思っている。不慮の事故死がそんなに悪いことだとも思わないし、災害死は悲惨だけど、ある意味しかたがないこと。
ほっといたって生き物である以上「どうせ死ぬ」んだし、私は無宗教だけど、生き死には神(のような存在)が決めること、でいいのでは。安直かなぁ。
『自死という生き方 覚悟して逝った哲学者』
須原一秀 著
双葉社 刊
2008年1月 初版発行
三島由紀夫、伊丹十三、ソクラテスの死に様や、キューブラー・ロスの事例を引き合いに出して切々と自死の正当性を述べているのだが、極にゃみ的ノーテンキ頭ではどうしても理解できない。「それはあなたの思い込みに過ぎないのでは?」と思えてしまう。
心理学者・梅本守氏の著作『認知科学6 情動』(岩波書店,1994)に書かれている内容・・
「人間と動物の間に一線を画さない行動主義心理学の立場から言う全ての動物にあてはまる行動原理」において、痛み・不安・恐れ・攻撃は個体の生存を維持するために不可欠な反応系で、喜び・満足・快感などの快情動はなくても存続することができる。種・あるいは個体の存続の危機に直面すると、全能力を傾けてそれに対処するが、その状況から脱した時に、緊張から解放され、快情動が発生するが、それは、神の意思として動物に与えた基本的責務を動物がまっとうしたことに対する、神のプレゼントなのではないか」(勝手に要約)
・・に対して、「うすら寒い人間観」と切り捨てているが、そうだろうか。
冒険を好む人種は常に存在する。生死を賭けた冒険には、強烈な「快情動」が伴うのだろう。
が、彼らがいたからこそ、人類は文明を生み出し、文化を発達させてきたのだと思う。ある種の登山家やクライマーを見ていると、梅本氏の考察は非常に納得できるのだが(私は彼らとは人種が違うけど)。
現代人の「死」が“不自然”になって、人の寿命が本来の生命力を超えてゆがめられていることが彼の思考に影響しているのではないかと思う。
本来、人の死はもっとナチュラルであるべきだと思うし、私だってスパゲッティにされて意識もないのにいつまでも延命させられるくらいならさっさとチューブを外して死なせてほしいと思う。この点は著者に共感するが、私の感じるところでは、この方は“男らしさ”というものにヘンなかたちでとらわれているのではないかと思えてしかたがない。
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コメント
「人間と動物の間に一線を画さない行動主義心理学の立場から言う全ての動物にあてはまる行動原理」
ぜんっぜん!わけわかめ!(@@)
噛んでも噛んでも味がなくて飲み込めないゴムみたい~。
生きるも死ぬも、身近すぎますが。
こんな生き方がいいな~というのを描いてくれてる絵本が、
「ぼくを探しに」です。めっちゃくちゃ、わかりやすいです。「ルンタッタ~」です。
投稿: なつ | 2010年2月19日 (金) 12:44
なっちゃん、まいど~。
あのカケラを探しに行くいくやつでしょう。
かわいいよねぇ。
あの絵本は私もお気に入りです。
いろんな示唆を含んでると思う。
「あおくんときいろちゃん」も面白いよね。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年2月19日 (金) 12:56
自殺の良し悪しや、生きるということなどは私には難し過ぎて、何がなんだかわからないのですが、少し前の兵隊さんなどと比較すれば自分の意思で「死」を選択できるかもしれないのは、ある意味贅沢かも?と思いました。私も「生あるものはいつか死ぬ」と同じ考えですが、せなあかんことが一杯あるうちは、それどころではないと感じました。ちゃんちゃん。
投稿: Kず | 2010年2月19日 (金) 13:27
僕も「ぼくを探しに」大好きです!
シルヴァスタインですよね?
思春期の頃、女の子にプレゼントしたっけO(≧∇≦)O !!
投稿: 銀杏 | 2010年2月20日 (土) 00:59
>自死の正当性を述べているのだが…
その内容はコジツケです…自殺に正当性はない!です。
肉体は死んで、自死したむき出しの魂だけになった時、初めて気がつく。
自死は契約違反だったんだ!!と。
契約違反は、罰金…
でも、死んでからの罰金?…罰金の代償?…
人間、死んでからが長いから…後悔することになる…
>ノーテンキ頭ではどうしても理解できない
いやいや、
いたって正常、健全な感覚と思います。
投稿: はりせんりりー | 2010年2月20日 (土) 11:57
Kずさん、
>せなあかんことが一杯あるうちは、それどころではないと感じました。
ホンマそれです。親がいて、子供がいて、生活しなくちゃいけなくて・・っていう一般ピープルはほんとそれどころじゃない。健全ですよね。
銀杏クン・・・
>思春期の頃、女の子にプレゼントしたっけO(≧∇≦)O !!
すげー、センスのいいプレゼントやん。
プレゼントの効果は・・聞かんとこ
はりせんりりーさん、
>肉体は死んで、自死したむき出しの魂だけになった時、>初めて気がつく。
そうかもしれませんね。
何しろ、「やりなおし」が効かないことですから。
人間は愚かなこともしつつ、失敗をしながら学んでいくものだけど、自殺だけは成功しちゃったら「学びようがない」ことなので・・
投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年2月21日 (日) 22:48