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『Dawn』(よあけ)

ポーランド・ワルシャワ生まれの絵本作家ユリ・シュルヴィッツの名作。
Yoake唐の詩人、柳宗元の詩「漁翁」をモティーフとした作品で、闇に静まり返った湖で夜が明けていく情景を美しく描いている。






原作となった詩は

Yoake_3漁翁 夜 西巖に傍ひて 宿し,
曉に 清湘を汲みて  楚竹を燃やす。
煙 銷え 日 出でて  人を見ず,
欸乃一聲  山水 綠なり。
天際を迴看して  中流を下れば,
巖上 無心に  雲 相逐ふ。






Yoake_2野山で夜を過ごしたことのないひとは気の毒だなーと思ってしまう作品だ。

『Dawn』(よあけ)
Uri Shulevitz 著
瀬田 貞二  訳
福音館書店 刊
1977年6月 初版発行

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コメント

テン泊したい。

連れてって下さいよう(>_<)

投稿: 銀杏 | 2010年7月28日 (水) 12:24

ふと、2テンに君と収まってるの図を想像してみたら・・
暑苦しすぎ~!!!

雪の頃に行こうぜー


それに、最近夏場はテントなしってパターンが多くて。
タープのみ。開放感満点ですぜ。虫攻撃にはまいるけど・・

投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年7月28日 (水) 17:15

>野山で夜を過ごしたことのないひとは気の毒だな…
毎週のように野山におもむき、夜を過ごし、俳諧し野営する人々。
あの深山の神秘的で神々しい体験を通して、かれらは一体何を感じていたのか。
ただ酒を酌み交わし身体的能力を褒めあいそれぞれの成果を認め合う。
しかし、地上では…何のためらいもなく人を傷つけ苦しめる…手前勝手な理由で。
野山で夜を過ごしたこと…いっぱいあるのに、心に優しさを持てない人のほうが
僕は気の毒だと思うのだな

投稿: はりせんリリー | 2010年8月 4日 (水) 16:36

深遠なる自然の力は、人を癒してくれたり、
やすらぎで満たしてくれたりすることはありますが・・・

優しさをもてないひと・・は・・・。


しょせん人間は他者との関わりの中で生きているのだし、
人類は多様なるほかの生物や自然環境の中で生きているのだけど、
なかなかそのありがたさには気づきにくいものですよね。

何にも考えずに自然を破壊して、失われ始めてようやくその大切さに気づく・・みたいな。

でも、いまの日本人はほとんど自然環境と隔絶された人工的な環境に暮らしているので、美しさも、心地よさも、ありがたさも、何にも知らないでいる人が多すぎると思うのです。
美しさ、心地よさ、ありがたさ、は全て“脅威”と表裏なんだけど、そういうことすらあまり認識されてない。

無知や無自覚はよくない。一歩都会を出ることには何がしかの意味があると思うのです。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年8月 4日 (水) 21:05

にゃみさん、こんばんわ~

>深遠なる自然の力は、
 人を癒してくれたり、やすらぎで満たしてくれたり…
>一歩都会を出ることには何がしかの意味があると思うのです…

私もこの点はまったくその通りだと…

ただ、山河の大気に触れないことは気の毒なことではなく、むしろ触れていてもその当たり前のありがたさに気がつけないことのほうが気の毒に思うのです。

私は富士山に二回登りました。
一回目は浮ついた気持ちで…当然、敗退。
二回目は真摯な畏怖の念を持って、この機会にめぐり合えたことに感謝しながら…。
そしてそれはまさに脅威の存在であると気がつく。
仲良しクラブの感覚で臨んではいけなかったのだと。

自然はそこに厳然と存在しているだけ。
逃げも隠れもしないのだから
体験するもしないも個々の判断で決めればいい。
ただ体験したことがないことを気の毒とは思わない。

私の“一回目”のように単なる徘徊(前カキコミは誤字でしたねゴメン!)で終わってる人だっていっぱいいるから。

投稿: はりせんリリー | 2010年8月 5日 (木) 22:03

今夜は、昨日に比べると少しだけ暑さがまし。
エアコン使わない私の部屋は、いまだに31度ですけど(笑)

>自然はそこに厳然と存在しているだけ。

そうです。
まさにそうなんです。
そこ、誤解してる方が多くないですか?

西洋系でありがちな「征服」しかり。

でも、そこまで言い切らない日本でも・・


山は人間を“受け入れ”もしなければ、
“拒否”もしません。
ただ、そこにあるだけ。単にあるだけ。

そこで「ごめんなさいよ!」って、腰を低くしながら
ちょこっと遊ばせてもらってる、って意識なんですけど。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年8月 5日 (木) 22:17

にゃみさん、ごめん!!

要するに、何を言いたかったかというと…

そんな美しい自然に接している山屋だって、
心がまっ黒な輩もいるよって言いたかったんです。

癒されて、楽しんでいるはずなのに…満足してなくて…

だから、気の毒だなっておもうのよ。
何のために深山にわけいっていくんだろう…ってね。
もっと、もっと欲しいよ~なんだろうね。
でも、何が欲しいんだろう?!?!

富士山の清掃…大変だけど、意外と充実感あるんだよ。
知り合いが女性隊長してるし…
本当に前に比べたら、お山は綺麗になった。
ご存知と思うけど…人の糞尿も生態系を壊す原因になるんだよね。
それと、
人間のもっと前に、
もっと高く、もっと速くの強欲のベクトルは、
自然環境の連鎖のリズムを壊す…と思っているんだ、僕は。

長々と失礼しました。


投稿: はりせんりりー | 2010年8月 6日 (金) 17:27

>人間のもっと前に、
>もっと高く、もっと速くの強欲のベクトルは、
>自然環境の連鎖のリズムを壊す…と思っているんだ、

まさにその通りでしょう。
そうやって地球環境がここまで傷つけられてきたのですよね。


選挙のたびに思うのですが、前進だとか、成長だとか、
今この期に及んでナニ言ってんだって言いたい。

大きいことはいいことじゃないし、
強いことはいいことじゃないし、
多いことがいいことでもない。

“豊かさ”ってものを戦後ずっと履き違えてきたってこと、
いい加減認めればいいのにって思う。

たぶん、感じていることはとても近いと思うのですが・・・


富士山、無積雪期に行く山じゃない、って思いました。
なんで今、こんなに富士山ブームなのかよくわかんないけど、
でもきれいにしようとしている人たちもいるんだ。
それは救いですね。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年8月 6日 (金) 20:09

>富士山、無積雪期に行く山じゃない、って思いました…
にゃみさん
この意味がよく分からないんですけど…教えていただけます?
すみません、不躾で。

投稿: はりせんリリー | 2010年8月25日 (水) 11:44

あの山をきれいな山に戻すために一生懸命取り組んでる方々がおられることは聞き知ってはいるのです。
それは素晴らしいことだと思うのですが、ボランティアが清掃をしないとどうしようもないようになってしまうということそのものが哀しいのです。
汚してしまうくらいなら行かない方がいい、と。
だいいち、人が多すぎて俗世間となんら変わらないように感じられる。私はもう行かなくていいかなぁ、って思ってます。
今の富士山ブームも意味がわからないし。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年8月25日 (水) 17:20

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