『ゆくとしくるとし』
先日、イッキ読みしてしまった『バラ色タイムカプセル』がとてもよかったので、前作を手配したところ、またしてもイッキ読みになってしまった。
表題作の『ゆくとしくるとし』は2005年に第9回坊ちゃん文学賞大賞受賞作。主人公の女子大生が一年ぶりに実家に帰ると、そこにはオカマさんがいて、母とコタツに入って年末心霊特別番組なんかを見ている・・といういささかシュールな物語。しかし、読後感の温かさがなんともいい感じで、しみじみと読み返したくなる作品だ。
『ゆくとしくるとし』
大沼紀子 著
マガジンハウス 刊
2006年11月 初版発行
この作家さんは表現がなんとも面白いので、ちょこっと抜粋してみる。
『ゆくとしくるとし』から
わが家の家族史的に、その人口推移を説明すると、まず私が、東京の大学に進学するために家を出た。人口はマイナス1。そしてその半年後、父が愛人を作って家を出て、人口はさらにマイナス1。結果、母が一人この家に残り、人口は定着した。
~中略~
そしてさらなる現在。そこにオカマが住み着いていたとは。青天の霹靂。鳩に豆鉄砲。お釈迦様でも思うまい。
「よくね、オカマの友だちで自分のことを、普通の女の子と同じに扱って欲しい。珍しいモノを見るような目で、見ないで欲しい。とかって言う子がいるんだけどぉ。アタシは思うワケ。しょうがないじゃない。アタシたち、実際問題珍しいんだからって。
世の中には平等なんてなくて、マイノリティーは排除されがちで、小さな偏見、小さな悪意で満ち満ちてて。でもぉ、それで回ってんだからいいと思うの。
アタシを産んで育ててくれた人たちも、アタシがとっても愛した男性も、その世間の一員なんだから、アタシはその世間の偏見やら悪意やらを受け入れようってね。コレ、オカマの極意だと思うのよね、アタシ。
大体、オカマが天下の往来を堂々と歩いても、誰も気にも止めなくて、逆に爽やかにあいさつなんかされちゃったりしたら、気持ち悪いじゃない?偏見も悪意もない、清く正しく愛に満ちた世の中なんて、アタシ、それこそノーサンキューって感じ。」
ううーん。この感覚。ものすごく近いものを感じるんですけど。
もう1作品『僕らのパレード』も、しみじみといろんなことを考えさせられるよい作品だ。
“サム”なんて名前に似合わない一重まぶたの薄顔ボーイの主人公、ある日突然声を失ってしまう姉、“母親”というアイデンティティを受け入れられず、恋遍歴を繰り返す母のミーナ、四番目だから「よんちゃん」と呼ぶ父、“糸でつながれた女の子”のパン職人、三本足の犬“サンちゃん”・・・
このユニークな登場人物たちが織り成す物語は、とても温かい。
この作家さんは1975年生まれなので、一回り以上も年下なのだが、シニカルで理知的で鋭い感性と、ほんわかとした温かみを感じさせるやさしさにはものすごく共感を覚える。
「家族」「母性」「愛」 ・・・人間捨てたもんじゃないって思わせるところにすばらしい持ち味があるように思う。
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