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『死者として残されて-エヴェレスト零下51度からの生還』(再読)

1996年に起こった世界最高峰での大量遭難事件を巡っては、Photo_2ロブ・ホール隊の顧客として参加していたアメリカ人ジャーナリスト、ジョン・クラカワーが書いた『空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』、クラカワーが厳しく批判したマウンテン・マッドネス隊のロシア人ガイド、アナトリ・ブクレーエフが書いた『デス・ゾーン』がある。
同じ現場にいた立場ではあるものの、これら2冊とは異なる視点から書かれているのが本書。7~8年前に一度読んだものだが、ふと思い立って再読してみた 。





『死者として残されて-エヴェレスト零下51度からの生還』
ベック・ウェザーズ・ステファン・ミショー 著
山本光伸 訳 
光文社刊 2001年12月初版発行

 烈風吹き荒れるデスゾーンで、難波康子さんと共に「助からない」として取り残された著者は、翌日になって奇跡的に意識を取り戻し、自力でサウスコルのキャンプまでたどり着く。さらに、サポートを受けながらとはいえ、急峻な氷雪の斜面をウエスタン・クウムの第2キャンプまで歩いて下った。その頃、アメリカの自宅では妻がありとあらゆる人脈を頼ってネパールの空軍を動かし、前代未聞のヘリによる高所ピックアップが試みられることに。
通常ではありえないような奇跡の連続で生還したいきさつにも息を呑むが、重度の欝(うつ)で“山に死に場所を求めていた”かのような著者が、“デスゾーン”で死の淵から蘇るという神秘的な体験をきっかけに壊れてしまっていた家族との関係を修復していく過程もまた読み応えがある。

著者が書きたかった内容もさることながら、いろいろな示唆を与えてくれる一冊でもある。
 まずは、低体温症に関する認識について。
「いったん低体温昏睡に陥った者に蘇生の可能性はない」という慣習的判断によって息があるにも関わらず見捨てられたウェザーズと難波。誰もが自分の命を守ることに精一杯な状況の中で、何を優先するかというのは現場にいる人にしかわからないことであり、彼らの救助を放棄したことを批判することはできない。しかし、まだ未解明な部分が多い低体温症については、もっともっと知らなければならないということを知らしめた事例となった。
高所登山に限らず、低体温症はどこでも起こりうる症例であり、登山者一般にもっと認知されるべきものだと思う。

 そして、一度は死に直面しながら奇跡の生還を遂げた著者が
「あの日あの山で、両手と引換に、私は家族と自分の将来を得たのだ」と語るように、ヒトは何かのきっかけで変われるのだということ。
重度の障害を得た著者はこう書いている。
「私はいま、生まれて初めて心の平安を感じている。もう外に向かって、自分はこういう人間なんだといい続ける必要はない。高い目標も、立派な業績も、高価なものを所有することも必要がなくなった」
 そう、“それ以前”の彼は… エベレストを最終目標とするセブン・サミッツ制覇を目標にしていた彼は「世界の登山界でいっぱしの者になる」ことで自分を定義するしかなかった。登山は楽しみではなく、名誉の、あるいは存在意義の証明の場でしかなかった。
山の世界では、やっていることのレベルはそれぞれでも、そういう類のヒトはたくさんいるけど・・・しんどいことやなと思う。
極にゃみ的には、そういう向き合い方ではない山登りをしていきたいな。

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コメント

こんばんは
腰の様子いかがですか。縦走前に心配ですね。

私は今日、トレーニングに新神戸-宝塚に行ってきました。
高低差のわりにこたえますね。

話は変わりますが下のアドレスのブログで「六甲山を歩こう」を紹介されていますよ。
http://ameblo.jp/konozz/

投稿: dragonfly | 2010年11月13日 (土) 18:20

こんばんわー。
しっかりトレーニングされてるんですねー。
ああそれに引き換え、私ときたら…

でもあと10日ありますからねー、
驚異的に回復してやる!つもりです。
当日コースでお会いできたら…

本の紹介をしてくださってるサイトを教えていただき
ありがとうございます。
読んでくださってるのは山ジョシですねー、うれしいなー。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2010年11月13日 (土) 20:22

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