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『逃避行』

お気に入りの作家・篠田節子さんの作品。Photo_2愛犬のゴールデンレトリバーがはずみで隣家の幼児をかみ殺してしまうという思わぬ“事故”によって、突然とんでもない逃避行に追い込まれるヒロイン。
30年近く専業主婦として家庭から出たこともなく、近年は“更年期障害”で家族に腫れ物に触るように扱われて鬱屈を溜め込んできた平凡な中年女が、世間の圧力によって殺処分されようとしている愛犬を連れ、衝動的にママチャリを駆って出奔。しかし、犬連れでは泊まるところを見つけることもできず、雪の降る夜の峠道で凍死しかけたところを親切なトラック運転手に拾われ・・・
スリリングな逃避行の果てに、“鬼の棲家”のような山奥の一軒家に流れ着く。結婚以来ずっと夫と2人の娘の世話に明け暮れ、外の社会を知らない“世間知らず”な女が、たくましく、したたかに変身していくというある意味「サバイバル」な展開。
だが、そこには「老い」や「家族」といったいろいろなキーワードが織り込まれている。意外な結末もまた篠田さんらしいのかもしれない。一気に読み終えたが、読み応えのある一冊だった。

『逃避行』
篠田節子 著
光文社 刊
2003年12月 初版発行

★この作者のほかの作品の極にゃみ的レビュー
『純愛小説』
『転生』
『斎藤家の核弾頭』
『静かな黄昏の国』
『仮想儀礼』
『Χωρα 死都』

身体の不調を訴える主人公に、無神経にも「お母さん、そりゃ更年期だよ」と大笑いする娘に、つい逆上して手をあげて以来、何を訴えても家族から「やはり更年期」の一言で片付けられてしまうようになる。医師ですら「もはや妊娠、出産の可能性のない患者に対しては、いささか冷淡であった」という下りがある。
大塚ひかり氏の『いつから私は「対象外の女」』 にも書かれているが、女の40代はそういう“哀しい”もののようである。

 40歳になったばかりの頃、夫が連れてきた会社の部下に、「カミさんはもう、女としては終わってるから」と何気なく話しているのを聞いたことがある。

ものすごくありがち・・・。テレやら見得やらもあって“無神経な男”は深い意味もなく口にするのだろうが、言われた側はとても傷つくだろう一言。(“終わって”なきゃある意味困るだろうに。)

「お母さんは、働いたことがないから」
「家で主婦ばかりやっているから」
 就職してから、二言目にはそう言うようになった。体調がすぐれないのも、更年期障害がつらいのも、「仕事をしていないので、暇だから」だった。


慈しみ育てた娘ですらも無神経な言葉を投げつける。いや、娘だからだろう。若いということはものすごく残酷なんだから。ま、自分もそうだったことは自覚しているから、私ゃ娘に何か言われても気にしないけど。

 ふと洗面所の鏡を覗く。
 あのとき顔を合わせた玉城が、一瞬だれだかわからなかったはずだ。家を出てから、十も歳を取ったような女がいた。逃避行のうちにどれだけ体重が落ちたのかわからない。それはありがたいが、脂肪を失った目尻や頬には深い皺が刻まれ、柔らかな肉に埋もれていた鼻は険しく高くなり、唇は薄くなっている。
 ファンデーションなど塗っていない。眉も描いていない。毎朝きっちりホットカーラーで巻いていた髪は、今は弾力を失い、白髪と赤茶けた毛が枯れ枝のようにのび、それをゴムで止めているだけだ。
 眉のない、しみだらけの浅黒い肌をした自分がいた。
 どこが悪い、と妙子はつぶやいた。ふやけた肌を化粧に塗り込めることを主婦の身だしなみと心得て、せっせとパフを叩いていたことがちゃんちゃらおかしい。


主人公が住み着いた家は、辺鄙な立地というだけではなく、ちょっとした訳アリ物件。前に住んでいた老夫婦のうち、夫が亡くなってから残された妻がボケて、息子夫婦が引き取っても舞い戻ってきて、挙句に行方不明となって空き家になった家。ところが、その行方不明の老女が池にはまって死んでいるのが発見される。死後数ヶ月も発見されなかった老女を思い、「自分のそう遠くない未来を見るようで身につまされる」主人公。
しかし、老女が丹精していた家庭菜園で、枯草の中から極上物の黒豆を発見し、彼女に対する見方が変わる。

 いったいどうやったらこれほどの物が作れるのだろう。ここを耕した老女の並々ならぬ手腕とこの地を終の棲家と定めた決意が見えるような気がする。妙子は厳粛な気分に打たれて、夜のとばりの降り始めた畑に目をこらす。(中略)
 あの高村という老女は、何年もかかってここの畑土を作り上げていったのだ。
 決して哀れな末路ではなかったのではないかという気がしてきた。息子のいる家に居場所がなかったわけではない。彼女自身が自分の居場所をここに定めたのだった。
 彼女は家族に捨てられたのではない。家族を捨ててきたのだ。日当たりのいい二階の一部屋をあてがわれて、嫁の作ったものを食べて、テレビを見て過ごす役立たずとしての生活を拒否して、最後まで自分の意思で生きる道を選んだ。(中略)
 
 ヤドカリのように老女の残した家に入り込み、夫の通帳から引き出した金で息をひそめて食いつなぐのではなく、それがいつまで続けられるのかわからないが、彼女の畑と意思を引き継ぎ、独りで生きていこうと心に決めた。(中略)

 ここでは人頼みにできることは何もない。軍手を買い忘れたまま作業をしたので、手の皺の間にも爪にも土が入り真っ黒になった。(中略)

 グリーンフィンガーがすぐれた園芸家のことを指すとは後で知った。学生時代の同級生からも娘からさえ「専業主婦」と、あたかも蔑称のように呼ばれて、自信を失っていたときだけに、その友人の社交辞令を越えた率直な賛辞がうれしかった覚えがある。
 今、だれに誉められることもなく、汚れた手にいくぶんかの誇りを感じている。

 

運命のいたずらに翻弄され、本質的に変わっていくという話は、「東京島」 「魂萌え!」など桐野夏生さんの作品にも共通するものがある。
「小説だから」かもしれないが、人は極限に置かれれば劇的に変われるものなのかもしれないと思うと、愉快でもあり、何か希望のようなものを持てたりもする。

いつになく長い引用になるが・・・
棲み付くことになった訳アリの家の、やはり訳アリの隣人と「棄老」に関しての会話。

「日本全国姥捨て山なんかいくらでもある。俺が聞いた話では、信州の山で、捨てられたばあさんが歩いていくと、冬のさなかだというのにあたり一面に桜が咲いている場所に出るという話がある。そこで花見をするそうだ。気がつくといつの間にか、娘時代に戻っている。花見をしながら酒を飲んで、歌って踊って、あの世に行く。めでたいんだか、悲しいんだか」
「男の年寄りが捨てられなかったのは不公平だわ」
「男は捨てられはしない。柿の木が一本あればすむからだ。昔はどこの村にも首くくりの木っていうのがあった。婆さんは、孫の子守だ、食事の支度だと、なんだかんだと、足腰立たなくなるまで役に立つ。しかし男の年寄りなど汚いだけだ。息子たちが跡を取って、もはや自分の時代が終わったと悟れば、さっさと首をくくる。その度胸もない男はこういうところに上がってくる」
 自嘲的に言って堤はワインを飲み干した。


なるほどね。“姥捨て”の構造。このジジイは自ら捨てに来たってわけか。でもじつはこの隣人がなかなかカッコいいのだ。

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コメント

>40歳になったばかりの頃…「カミさんはもう、女としては終わってるから…

日本人は割合無神経に、こんなこと言う“夫”多いですよね。妻は傷つくのかな?
褒めること、上手無いよね、中高年男たち。

逆に…
70近い婆さんに、“素敵だ”“イカシテル”と
恥ずかしげもなくブログに書き込む山オヤジも、なんだかそれぞらしい。
           

投稿: オバカッチョ | 2011年3月 2日 (水) 16:13

妻に対する夫の無神経さなんて、中年女は充分慣れてるだろうから、気にしないってのが利口な対処法なのでしょうが・・・

でもやはり無神経に人を傷つけるような言葉を発したり、他者を貶めるような発言は、自分の品格をも貶めることなのだろうなと・・・。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2011年3月 2日 (水) 18:00

>気にしないってのが利口な対処法なのでしょうが・・・

でも、妻が物申さないと
夫はいつまでも気がつかないんじゃあないのかしら?

オンナを性的にランク付けし、値踏みする…
遊び仲間も、仕事関係でも、女性を見る目は、
やりたい女か、やりたくない女で仕分けする。

そんなお粗末で貧相な感情で生きている夫に
カツッ!を入れるのは妻の仕事!!!……
だって言うのよ、ウチの若い女子達(^ω^)

投稿: オバカッチョ | 2011年3月 4日 (金) 01:52

ま、カツを入れてでも一緒にいたい相手なら、ですね。

人によって(相手によっても?)そういう場合の対処は異なるでしょうが、私ならめんどくさいから“見限る”かも。いらんなー、そんな男。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2011年3月 4日 (金) 07:19

>私ならめんどくさいから“見限る”かも。いらんなー、そんな男。

そうかな…?
意外と、羽まって腐れ縁のどろどろ舞台の主演を演じ切ったりして…

人間…なかなか思い通りにはなりましぇ~ん、自分も他人も。

面倒なことは…小説の材料になる( ̄ー ̄)ニヤリ。

投稿: | 2011年3月 4日 (金) 14:52

腐れ縁のどろどろの主役・・・やってみたいなぁ一度。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2011年3月 4日 (金) 15:32

>人は極限に置かれれば劇的に変われるものなのかもしれないと思うと…

これもすごく引っかかるフレイズで

かなりな事柄に遭遇しても

きちんとした考察とそれに由来する意識革命がない限り
ただの“大変な出来事”に遭遇!!で終わってしまう。

人間は悲しいくらい楽な方に流れてしまう動物だわ。
もちろん僕も含めてだけど…

投稿: オバカッチョ | 2011年3月 7日 (月) 03:04

>人間は悲しいくらい楽な方に流れてしまう動物

ホントそう。
締め切り切られてお尻に火がつかないと動けない。
いっぺんくらい、提出期限ギリギリじゃない間に確定申告を終わらせてみたい(泣)。


でも、極限的な状況下に置かれたひとが、その状況にどう対処するのか・・・というのは小説のものすごく面白いテーマ。
というか、それが“ありえない”状況であればあるほど、
(にも関わらず、リアリティを付加しながら描かれていれば)
その小説世界に引き込まれてしまう。
篠田節子氏はそういう意味ですごくうまい作家だと思う。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2011年3月 7日 (月) 06:59

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