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『死刑台から教壇へ―私が体験した韓国現代史』

在日朝鮮人2世として日本で生まれた著者は、Sikeidaikara大阪の府立高校卒業後、ソウル大学に留学。朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の独裁政権打破を目指す民主化運動が学生の間でも高まりを見せる中、北朝鮮のスパイにでっちあげられて逮捕され、過酷な拷問の果てに死刑判決を受ける。以来、24歳から37歳までの13年間、最も華やかであるべき人生の大切な時期を獄中で過ごした。うち6年はいつ刑の執行が行われるかわからず、常に死の恐怖にさらされている死刑囚として。1988年にようやく仮釈放となって帰国がかない、現在はさまざまな大学で大学の教壇に立ち、平和学を担当しているが、過酷な体験は、きっと重く響く言葉となって伝わるのだろう。

『死刑台から教壇へ―私が体験した韓国現代史』
康宗憲(カン・ジョンホン)著
角川学芸出版 刊
2010年9月 初版発行

本文からちょっとだけ抜粋・・・

日本が、かつての植民地支配や侵略戦争に対する真摯な反省の上に、朝鮮半島や中国、東南アジアの諸国に対して誠意ある謝罪と補償を実行していたなら、十分な信頼関係がアジア諸国と結べたかもしれない。それに基づき平和憲法9条の精神を名実共に実行していたなら、アメリカとの安全保障条約がなくても、米軍基地、米軍の「核の傘」がなくても、日本はひょっとしたら、より平和な国になっていたかもしれない……。日米安全保障条約に依存するのか、それとも平和憲法を実践して行く道を選ぶのか?このように問い続けることは、日本国民だけではなく、日本に住む私のような外国人市民の課題であると思っています。
(中略)
 不思議に思うのですが、みなさんが謳歌している民主主義が大変な危機にさらされていることを、日本の社会はあまり実感を伴って自覚していないようです。


今更ながら、
 ・・・日本は「核の傘」なるものに依存していたのだった。原子力発電を“やめない理由”に、プルトニウムの保有、だなんていう恐ろしいことを真顔で語るひともいる。
ヒロシマ・ナガサキの災禍で多くの犠牲を払ったこの国は、核のない平和な世界を構築することを何にもまして優先すべきであろうに。
“夢の新エネルギー”は幻想に過ぎなかった。原子力の平和利用だなんていう欺瞞のせいで、今多くの人々が危険にさらされている。そればかりか、大気中、海洋に流出した莫大な量の汚染物質が多くの生物を脅かしている。この罪をいったいどうするのだ。

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