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『原子力村の大罪』

小出裕章(京大原子炉実験所助教)、Gensiryokumuranotaizai西尾幹二(評論家)、佐藤栄佐久(前福島県知事)、桜井勝延(南相馬市長)、恩田勝亘(ジャーナルスト)、星亮一(作家)、玄侑宗久(作家)の7名がそれぞれの立場から“原子力村”と呼ばれてきたアンタッチャブルな領域について、その知見を持って切り込み、或いは被害の実態を暴き、当事者としての本音を語った渾身の一冊。

『原子力村の大罪』
KKベストセラーズ 刊
小出 裕章
西尾 幹二
佐藤 栄佐久
桜井 勝延
恩田 勝亘
星 亮一
玄侑 宗久  共著
2011年9月7日 初版発行

この本は、ほんとうに一人でも多くの方に読んでほしいと願う。

気になった部分を少しずつ抜粋してみる。

「原子力村への最終警告」小出裕章(京大原子炉実験所助教)
P30
 東京電力が4月に策定したロードマップでは来年1月に冷温停止状態にすると宣言していましたが、現実的にそれが達成できる道理はありません。確かに冷温停止が一つの収束の指標だと言われていますが、冷温停止というのは、原子炉圧力容器という圧力釜が健全であり、その中の原子炉に水が回せて炉心が冷却できる状態にあることを言います。しかし、炉心が溶け出してしまったメルトダウン状態であれば、冷温停止などという概念自体が成り立たないわけです。

P33
 そもそも放射性廃棄物の問題は何も解決されていません。
 私たちはウランという放射性物質を核分裂させることで発電に利用しています。しかし、ウランを核分裂させてしまうと、核分裂生成物が生まれます。ところが、核分裂生成物を無毒化する方法を人間は持っていないのです。かねてから「原発はトイレのないマンション」とたとえられてきましたが、まさに自分たちが生み出すごみの処理方法すら知らずに今までやってきたのです。それだけを考えても、私は正気の沙汰ではないと思います。
 しかし、人が住んでいる環境に核分裂生成物が漏れてきたら大変なことになることだけは明らかです。
 これまで核廃棄物処理のためにあらゆる方法が考えられてきました。最初に検討されたのは宇宙空間への廃棄物処理でした。ところが、ロケット打ち上げの際の事故のリスクを考えるととても実現できるものではありませんでした。
 次に考えられたのが深海底への処分でした。しかし、処理に失敗したら海が汚染されてしまうため、後にロンドン条約で禁止されることになります。
 次に考えられたのが氷床処分でした。南極の氷の上に核廃棄物の「死の灰」の塊を投棄します。すると、「死の灰」の塊は膨大な熱を発し南極の氷を溶かしながら沈下していきます。やがて南極大陸の陸地にたどり着いたところで沈下は止まり、その上部を氷が覆うことで閉じ込めることができるというものでした。しかし、南極は原子力を保有している国だけの保有物ではありません。
 そこで日本では約300~1000メートルの縦穴を掘って、その底に横穴を掘って核廃棄物を埋めるという構想がありました。しかしその縦穴に埋めたとしても約100万年もの間保管しておかなければならないのです。日本のような地殻変動が激しい国で、百万年もの間微動だにしない地盤などありません。
人は長くても、80年程度しか生きることができず、日本というこの国自体も約2000年ほどの歴史です。それなのに、数百万年先まで毒性が消えず無毒化もできない物質を人類が扱って果たしていいのでしょうか。今も核廃棄物の問題は解決の糸口も見つけられないまま、原子力発電所に放置されたままです。
 さらに日本政府は処分場をモンゴルに建設する構想も打ち出していましたが、自分たちが核のゴミを作り出しておいて、それを他国に押し付けるなど本当に情けない話です。
 そして、原発を動かしているのが人間である以上、ときに事故が起こることは考えられます。原子力を推進する「原子力村」の人たちもそのことを充分、知っていました。どのため「原子炉立地審査指針」には、原子炉からある距離の範囲内は非居住区域にすることが定められました。(中略)本当に安全であるのならば、このような法令が定められる必要はないはずです。
 大都市の人が電気をたくさんつかって享楽的に生活したいというのであれば、都会に原発を建設すればよいのです。「どうしても原子力が必要だ」「経済活動を停滞させないために原発が必要だ」と言うのであれば、工場密集地に原発を建設すべきです。ところが、東京電力の火力発電所は東京湾に林立していますが、原子力発電所だけは今回事故を起こした福島第一、福島第二原子力発電所と新潟県の柏崎刈羽原子力発電所と、東京から遠く離れた地域から長い送電線を敷いて電気を東京に送っています。(中略)本当に安全であるのなら、東京湾に原発を建設すべきであり、過疎地に押し付けてはなりません。それができないのであれば、原発はやめるべきなのです。

福島第一原子力発電所の事故以降、国は原発事故収束のために働く作業員に対し、年間250ミリシーベルトまでは我慢しろと決めました。その被ばく量がどれくらいかと言うと、10人に1人の作業員がガンで死亡するリスクです。今、福島県内でたくさんの人々が政府から避難を指示されて、自分の家を追われて避難所に移っています。その中で、次々と体調を崩して亡くなっていく方がいます。なんとか生まれ故郷に帰りたいと皆さん思っているでしょうけれども、猛烈に汚染した土地があるのは事実です。国は年間20ミリシーベルト以上の被ばくの恐れがある地域は避難するように求めています。逆に言うと、年間19.9ミリシーベルトのところは安全なので、何もしなくていいと言っているのに等しいわけです。
 では、年間20ミリシーベルトの被ばくをすると、どういう危険が出るのでしょうか。その地域に住む子どもの場合、31人にひとりがやがてがんで死亡するリスクを負うことと同じです。それを容認できるのか否か、皆さん一人一人に考えてほしいと思います。

「脱原発こそ国家永続の道」西尾幹二(評論家)
P80
 原発事故が起こってから、私は原発賛成派から反対派に転じたと見る人がいるが、必ずしもそうではない。私が判断を替えたのは保守言論人としての思想転向ではない。反原発・反核運動に与するものでもない。ましてや管首相の「脱原発」と意を同じくするものでもない。地震が多く、狭い国土ではもう原発はやめてほしいという一般国民の常識に基づくものである。エネルギー問題をイデオロギーで考えるのではなく、合理的にクールに考えよう、それが常識であると言っているだけだ。
 福島の事故が起こって、原発は経済面で合理的でもないし、安全なものでもないと分かったし、国家や歴史を犯す可能性があるものと分かった以上、人は選択肢を変えることに躊躇すべきではない。人間は経験から学ぶべきものである。

P88
 たとえば、先に触れたように、問題を起こした福島第一原発の一号機はアメリカのGE製、二号機はGEと東芝の共同製であった。電源設備が最初からあまりにお粗末なつくりであったことで知られていた。ところが、これの点検やチェックは搬入後なされていない。アメリカで合格とされたものに、日本でバックチェックはあり得ないからだそうである。法の遡及は考えられない取り決めだというのである。何という実際性のない硬直した対応だろう。今日のここで起こった大事故の正体は、原子力・安全保安院の「未必の故意」ではないのか。

P92
 さて、話題は変わるが日本人は、江戸時代の貧しさに立ち還る覚悟がなければ、今の原発を止めることはできないなどと安易な言葉で脅す人がいる。あるいは、原発を止めれば日本の人口は遠からず半減するだろう、などという人もいる。果たしてそうだろうか。
 われわれは「計画停電」で脅迫されたが、夏の盛りは別として、原発を停止しても休止中の火力発電を復活すればそんな危機はすぐこないという数字上の証明も、すでに各方面でなされている。もちろん、残された原発を今直ちに止めることは不合理である。日本は当分の間、』稼働中の原発を上手に、合理的に運転していかなければならない。何ごとでも急激な変化、過激な措置は慎まなければならない。
 けれども、原発による発電の価格は安く、太陽光など自然エネルギーは高くつくので、前者を後者で代替することは到底できない、と広く今まで信じられてきた前提には、数多くの疑問符がつけられてもいるのである。
 原発は順調に運転されている稼働中の単位コストは安いかもしれないが、研究開発費として毎年組まれる四千億円の予算、大金で住民を買収する地域対策費、マスコミや政治家にばらまかれる反対封じ込めの教宣費、巨額にのぼる廃棄物処理コストを加えて計算されているだろうか。さらに、今度のような事故が起これば、被害補償費は天文学的数字となり、安いなどとは到底言えないだろう。
 太陽光発電、風力発電、地熱発電などは、まだわが国では本格的に試みられていない。あんなものは役に立たないと鼻先で笑う人が多いが、やってみなければわからない。やる前からできないと決め込むのは、官僚の発想である。
 わが国でなぜ自然エネルギーの開発が立ち遅れたのかは、原発を最優先にする政治上のキャンペーンに抑圧され、足踏み段階で抑え込まれているからである。

P94
 しかも、再処理ができても「高レベル放射性廃棄物」は最後にどうしても残るのである。これを地下三百メートルに埋め込む計画のようだが、どの自治体も受け入れを拒否している。三百メートルと言っても、日本列島は地震大国である。地殻変動で将来何が起こるかわからない。燃料の最終処分はフランスも成功していない。フィンランドは十万年間保管する地下壕の建設中である。前にも述べたが、子孫に残すべき国土は民族の遺産であって、永久の汚辱の大地にするわけにはいかない。保守といわれる知識人のなかに、どうして美しく保存されるべき豊葦原瑞穂の国を、何万年にもわたり汚染してもいいと考えている人が少なくないのか、私にはまったく理解できない。それに、いかなる人の故郷も奪われてはならない。エネルギー問題をイデオロギーに囚われて争っていてはならない。

「本丸は、東京電力ではなく経産省だ!」佐藤栄佐久(前福島県知事)
P104
 今回の事故の背景には、エネルギー政策を統括する経済産業省と東京電力の悪質な隠蔽体質があります。私は福島県知事時代から、再三にわたって東電の情報改竄やその隠蔽体質、そしてその背後にいる国の歪な原発政策を批判し続けてきました。

P117
 ところで、多くの人は原発が立地した自治体は「原発マネー」で潤っているのではないかと考えているのではないでしょうか。しかし、実は事はそう単純ではありませんでした。私が知事時代に驚いたのは、原発立地市町村の驚くべき疲弊振りでした。例えば福島第一原発が立地する双葉町は1978年4月と79年10月に相次いで原発が建設されました。ところが、原発運用開始から三十年経った2008年に、県内60市町村で最悪の財政状況に陥っていました。
実質的財政破綻状態です。ここで明らかになったのは、原発という存在は世代間共生が不可能だという点です。原発が建設されれば、その自治体には巨額の固定資産税が入ります。しかし、減価償却が進めばその額は目減りしていくのです。そのため91年に双葉町議会が第一原発7、8号機の増設決議を全会一致で可決しています。
 原発誘致で未来永劫に幸せで豊かな町になったはずだ、と私は思っていたので、たいへん驚いたことを覚えています。巨額の原発マネーで地元自治体は潤い、やがてそれが切れると新たな原発マネーを求める。町が原発マネー漬けになっているのです。その姿はまるで麻薬患者のようです。地元に一切口出しさせないために巨額の原発マネー漬けにしてしまう東電の手法は、電事法を通じてマスコミに巨額の広告費を出稿して批判を封じようとする手法とまったく同じ卑劣な手口です。結局、原発で一時的に潤った双葉町は、自治体として自立することはできませんでした。(中略)
確かに原発が誘致されれば、今の世代は人口も増えるし、産業は原発関係にシフトすることで潤うことができる。ある意味その世代はバラ色です。しかし、そのバラ色はその世代だけで、子供の世代にはその地域は死んでしまうのです。

「東電からもらったのは被害だけだ!」桜井勝延(南相馬市長)
P142
 3.11以降、南相馬市民の人生は大きく狂わされました。これまで普通に会社に勤め、家庭生活を送り、あるいは農業を自然とともに営んで、子供たちを育て、老父母と暮らしてきた生活全てを壊されました。非日常が5ヶ月以上も続いている現状を想像してみてください。避難所で被災された市民の目をみると、ほんとうに言葉も出てこなくなります。私は市長として、南相馬市民に「謝っても謝りきれない」心境です。
 南相馬市も避難所対策として150人もの職員を200ヶ所以上の県内外に派遣しています。しかし、東電は一体何人の職員を避難所のために派遣したというのでしょうか。南相馬市の場合、避難した市民の宿、全国の避難所を回るためのレンタカー代などの避難所対策に三ヶ月で2億円もの経費がかかっています。(中略)
 その一方、事故の原因をつくった東電は汗を流さず、ただ「お金を払えばいい、それもなるべく対象者を少なく」という態度では許されないのは当然なのではないでしょうか。
 そのような東電と比べ、東北電力の対応は全く異なりました。
 南相馬市には、東北電力原町火力発電所が立地しています。地震と津波によって火力発電所も大きな被害を受けました。しかし、東北電力は地震が起きた直後から我々の現地対策本部に入り、ライフラインの復旧に関しても最大限の心配りをしてくれました。
 「ここをやってほしい」と言えば、即座に手当てしてくれました。特に政府の「屋内退避」などの指示が行なわれたときも、東北電力の担当者は「市長が現場に留まると言えば、我々も市長と一緒に留まる」と言ってくれました。これほど勇気づけられたことはありませんでした。

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