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『見えないチカラ-視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望』

28才のとき、将来失明するかもしれない、という告知を受けた著者。
Mienai_tikara無自覚で無為な毎日を過ごしていた高校時代、唐突にクライミングに目覚めた。ヨセミテに憧れ、バイトに明け暮れた大学時代。その後、旅行業界に身を置き、アウトドアのプログラムを成功させたり、充実した職業人として生きていたある日、ちょっとした目の異常を感じて受診したところ、失明するかもしれないという告知。
「網膜色素変性症の類縁疾患、錐体桿体(すいたいかんたい)機能不全」と診断され、失意の底に叩き落された著者。“人”ではなく、“症例”としてしか見てくれない医療機関に希望も期待も持てなくなっていたとき、ようやく一人の人間として扱ってくれる医師に出会う。
「これから先、私は何ができなくなるのですか?できなくなる日のために、どんな用意をしたらいいのですか(後略)」と、“できないこと”についての質問を投げかける著者に、その医師は
「これから何ができなくなるのか?どう生きていったらいいのか?と聞かれても私には何も答えられません。何ができなくなるのかもわかりません。小林さん、もっと大事なことがあるでしょう?大事なことは、あなたが何をしたいか、あなたがどう生きていきたいかなのです」

視覚障害があってもクライミングは楽しめる。自分と同じように視覚障害のある人にもクライミングの楽しさを伝えたい…
結局、彼は「クライミング」を選ぶ。

2006年、ロシアで行なわれた第1回パラクライミング選手権・視覚障害者男子部門で優勝。2011年、イタリアアルコで開催の「ワールドチャンピオンシップ」視覚障害者B2クラス優勝。そして、主に視覚障害者を対象としたフリークライミングの普及とクライミングを通じて障害者の運動機会の拡大などを目的とするNPO法人「モンキーマジック」を立ち上げる。

『見えないチカラ-視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望』
小林幸一郎 著
アスペクト 刊
2011年12月 初版発行

印象的な部分を少し抜粋。

念願のヨセミテでクライミング三昧の日々を送っていたとき、メキシコから来ているクライマーに言われた一言。
「お前はどうしてアメリカに遊びに来ることができるんだ?」
「えっ、どうしてって?」
「アメリカは広島と長崎に原爆を落とした国だろう?日本人のお前がどうして遊びに来られるのか、俺には理解ができないけど・・・・・・」
「原爆? ・・・・・・・」

この会話で初めて日本人であることを意識したという。

友人の結婚式に列席するためアメリカのデンバーに行った著者。そこで、全盲のセブン・サミッターの話を聞く。
「障害者がやれることには限界があると思っていた。障害者は狭い世界で生きていくものだと思っていた。だから、自分がやれることも小さなことだと思い込んでいた。それなのに、全盲で七大陸の最高峰を登頂している人が現実にいるなんて!」
そこで、その全盲のクライマー、エリック・ヴァイエンマイヤーに会いに行こうと思い立つ。

そのエリックの言葉。彼はアメリカでは教科書に載るほどの著名人だそう。
「山頂に立っても、俺には眼下に広がるその素晴らしい眺望を見ることができない。でも、頂上には眺望以上のものがあるんだよ。そうだろう?コバ。ただすばらしい眺望を見たいだけなら、誰もあの登山の苦しさに挑戦することなどしないだろう。山頂は、誰の心の中にもある夢の実現の象徴なんだよ。」

P161
「自分の手で」。これが本当に大切なこと。でも、この感覚を日常の生活の中で得ることは容易ではない。だからこそ、クライミングで一度この感覚を知ってしまったら、誰かに指示されて行動する生き方、教えられたやり方には満足できなくなる。収まらなくなってしまう。自分の感覚で、自分なりのやり方で前に進みたくなる。
 クライミングは、その先にある何かをつかむ感覚を、登ることで身体全体で体感できるもの。だから、私もはまってしまった。
 子どもたちには、クライミングをひとつのきっかけとして、道具として、その先にある自信や可能性を自らの手でつかんでほしい。

IFSC Paraclimbing World Championship LEAD - Arco (ITA) 2011 18. July

テレビ東京「生きるを伝える」

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