天磐盾 ゴトビキ岩
熊野三山のひとつ、熊野速玉大社の神が最初に降臨されたのが権現山中腹の絶壁にある磐座。「ゴトビキ岩」と呼ばれ、古くから霊域として、また修験者の行場として敬われてきたとか。 ココへ行くには、自然石を組み合わせて積み重ねた「鎌倉積み」の急峻な石段が538段。源平合戦に際して、熊野の功労を賞して建久4(1193)年に源頼朝が寄進したものと伝えられている。
この石段を登り詰めた上に鎮座しているのがご神体の巨岩「ゴトビキ岩」。
ゴトビキとは熊野の方言でヒキガエルのことだが、ここからは弥生時代の銅鐸の破片が発掘されたとかで、古代から信仰の対象であったようだ。岩に寄り添うように建てられている祠には、高倉下命(タカクラジノミコト)と天照大神が祀られている。
この場所は神倉山の中腹にあたる。麓から60mの高さでそそりたつ崖の上で、ここが日本書紀』神武天皇紀に出てくる天磐盾(あまのいわだて)だといわれているとか。
★詳しくは…ココ
じつはこの場所に、私は不思議なご縁で導かれてきた。
昨年11月末に取材で中辺路を訪れ、滝尻王子~熊野本宮を踏査した。
★コースの状況…ココ
設定コースは本宮までなので、バスで田辺へ戻るべきだったのだが、なぜか新宮へ行きたくなった。湯の峰温泉に宿泊していたので、朝一番の送迎バスで本宮へ移動し、早いバスに間に合っていたのだが、運転手さんと話をしただけで見送り(このときはまだ台風12号被害により、JRきのくに線・新宮-紀伊勝浦間が不通(12月3日運行再開)だったので、代替輸送のことなどを聞いた)、喫茶店でお茶しながら「SAVE KUMANO ショップ」の開店を待った。
少しばかり買い物をしていたら、店のスタッフが「新宮へ行くならぜひココへ行ってみてください」と言って不思議な岩が写った写真を見せてくれた。「ゴトビキ岩って言うんです」と説明されたが、どこにあるのかわからなくて、聞いてみたけど全く土地鑑がないので、どうやって行くのかよくわからなかった。
そして、次のバスで新宮へ向かったのだが、特急バスなのにほかに乗客がいなくて貸切状態。兵庫県から来たというと、運転手さんはバスを走らせながら、熊野川の氾濫による被害跡を示し、台風のときの話をいろいろと教えてくれた。
喋っているうちに、ふと思い出して「カミクラ神社ってどうやって行けばいいんですかね?」って聞いてみたら、なんと登り口の近くで下ろしてくださることに。
その後の勝浦への行き方も親切に教えてくれて、おかげさまでその朝まで全く知りもしなかったゴトビキ岩に行くことができたのだった。
さらには、石段の途中で郷土史家と思しきご老人に声をかけられ、古い写真などを頂戴した。
そんなこんなで「神倉さんに呼ばれたのだろうか」って思っていたのだが…
降りてきて、なぜか速玉大社には行かず、勝浦行きのバスに乗ってしまったのだが、結局は速玉さんにも呼ばれていたようで、先日のロケでお伺いすることになり、なんと正式参拝させていただいた。
※神職さんが御祓いをしてくださり、巫女さんが神楽を舞ってくださり、神前に玉串奉奠をさせていただいた。
那智山でも“呼ばれた”感があったのだけど、“呼んでいただいた”だけの働きがちゃんとできますように。がんばります。
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コメント
すごっ!ほんまに呼ばれてたんですねー!
(笑)
酔っ払って幻聴聞いたんやろうと思ってました。すんません
投稿: タマスケ | 2012年2月20日 (月) 21:50
だいたいが酔っ払って幻聴聞いてますけど、
熊野のカミサマには呼ばれてると思ってます。
不思議なご縁なの。
キミもいっしょに呼ばれときなはれ。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2012年2月20日 (月) 23:47