『下山の思想』
昨年末に発刊され、話題となっている五木寛之さんのエッセイをようやく読んだ。
戦後の復興から、驚異的な経済成長を遂げて、一時は世界第二位の経済大国となったこの国だが、未曽有の大災害を経て、いまたいへんな局面にある。
再び復興していかなければならないが、そこでめざすものは、これまでの「成長」とか「発展」というものさしではないのではないか?ということを問いかけた作品。
まえがきから一部抜粋。
いま、未曽有の時代がはじまろうとしている。
いや、すでにはじまっているのかもしれない。私たちがそれに気づかなかっただけなのだろうか。
いや、それもちがう、という声がどこかできこえる。気づかなかったのではない。気づいていながら、気づかないふりをしてきたのだ。
とんでもない世の中になってきたぞ、と実感しながら、それを無視してきたのである。
しかし、その知らんぷりも、もうできなくなってきた。
『下山の思想』
五木寛之 著
幻冬舎新書240
2011年12月10日 初版発行
ところどころ、気になった部分を抜粋してみる。
P12
東日本の大災害と福島原発の事故は、大きなショックだった。しかし、いまでは復興と除染がもっぱらの話題である。
それはなぜだろう。放射能の深刻な事態を知りつつ、それが社会全体の持続したテーマとならないのは、なぜか。
私が思うに、それは人びとが、私たちの住む世界は、すでに十分に汚染されつくしていることを感じているからではないだろうか。
レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を発表したのは、1963年のことだ。公害という名の自然破壊は、その前にすでに限界をこえていたのである。
P14
福島原発の事故による日本海の魚介類の汚染は深刻である。その他の食物も記載された産地に関係なく問題があるのは当然だ。しかし、多くの人びとは嬉々として回転寿司の店に集まり、私自身も週に一度は焼肉屋にかよう。だれもほとんど気にしていないかのようだ。
それはなぜか。
私たちは、すでにこの国が、そして世界が病んでおり、急激に崩壊へとむかいつつあることを肌で感じているからではあるまいか。
知っている。感じている。それでいて、それを知らないふりをして暮らしている。感じていないふりをして日々を送っている。
明日のことは考えない。考えるのが不快だからである。明日を想像するのが恐ろしく、不安だからである。
しかし、私たちはいつまでも目を閉じているわけにはいかない。事実は事実として受け止めるしかない。
P25
戦後60年、私たちは上を目指してがんばってきた。上昇する。集中する。いわば登山することに全力をつくしてきた。
登山というのは、文字どおり山の頂上をめざすことだ。ルートはちがっても、頂上はひとつである。
しかし、考えてみると登山という行為は、頂上をきわめただけで完結するわけではない。私たちは、めざす山頂に達すると、次は下りなければならない。頂上をきわめた至福の時間に、永遠にとどまってはいられないのだ。
登ったら降りる。
これは、しごく当たり前のことだ。登頂したあとは、麓をめざして下山するのである。
永遠に続く登山というものはない。くり返しになるが、登った山は下りなければならないのである。
P39
私たちは山頂をきわめた。そして、次なる下山の過程にさしかかった。そして突然、激しい大雪崩に襲われた。下山の過程では、しばしばおこりうることだ。
そのなかから起ちあがらなければならない。そして歩み続けなければならない。しかし、目標はふたたび山頂をめざすことではないのではないか。
見事に下山する。安全に、そして優雅に。
そのめざす方向には、これまでとはちがう新しい希望がある。それは何か。
| 固定リンク
コメント
かなり、抜粋箇所に共感しました。
登ったら降りる。
降りる時の方が危険だけど、ちゃんと気を配って考えて下山すれば、
更に達成感と新しい希望(次へのチャレンジ)と安堵感にたどり着くはずなのにな〜。
なんだか頑張ってジャングルジムの上から降りようとしている子供を、
実は恐がりのガキ大将が頭を引っ張って降ろさないようにしてる絵が浮かんでしましました。
投稿: Fukuzo | 2012年9月 5日 (水) 17:57
たとえが面白いです~。
ホントに、ずーっと右肩上がりの成長なんてありえないってことにもうそろそろ気づかないとね。
原発のこともそう。
「原発がないと電気が足りなくなって不便」「景気が悪化する」って言うけど、少々の不便は工夫で乗り切る努力をするべきだし、景気はいいまま続くと思い込む方がおかしい。
高度成長期を支えてきた世代がヨノナカをまだ握ってるからなかなか発想転換が進まないのだろうけど、
大量生産大量消費って時代じゃないし、
消費は美徳じゃないし、
もっとつつましい、自然や資源を使いたい放題好きにするんじゃなくて、自然にもっと寄り添う生き方を模索できれば・・と思います。
「登ったところからはいつかは下りないといけない」んだから。
投稿: にゃみにゃみ。 | 2012年9月 5日 (水) 18:27