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古地図で歩けるまち、萩

全国でも屈指の古い街並みを誇る町、萩。
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武家屋敷や町人町など、江戸時代の古地図そのままの町割りが残されている。
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実際に、萩市観光協会が発行している古地図を持って歩いてみた。Dsc01923
町割りはほとんどそのままで変わっていない。
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白壁が印象的な通り。
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夏ミカンが青々した実をつけていた。
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高杉晋作誕生地の近くにある晋作広場に建つ銅像。お城の方を向いて立っているが、なかなかりりしい男前(似てない…)。

ところで、萩の町がこれほどよく昔の面影を残しているのは、その“悲劇的”な歴史によるものなのだとか。

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案内してくださった役所の方いわく、
城下町としての始まりは、中国地方10か国を支配し200万石とも言われた大大名の毛利氏が関ヶ原の戦いで西軍の大将に担ぎ出されて負けたため、周防・長門二ヶ国36万石に減封されたうえ、最も奥地に追いやられてしまったという“悲劇的”な事情から。
そして、城が築かれることになった指月山は当時まだ完全に陸続きではない“島”状態で、市街地の大半はどうしようもない湿地帯だったとか。土地の埋め立てから始めなければなければならないほど“悲劇的”なスタートだった。
が、そのおかげで都市計画がしっかりとなされたともいえる。

さらに、幕末になって廃藩置県で山口県が成立すると県庁は山口に置かれたため、旧城下の萩は“悲劇的”なことに発展から取り残された。
が、大都市のほとんどが爆撃によって破壊された第二次世界大戦では、都市化されていなかった萩は空襲を受けることなく街並みが残ったわけで…。塞翁が馬、ってところだろうか。

これらの事情によって、奇跡のように歴史的な景観が守られ、残されてきた萩。無用な開発の波から町を守るために鉄道を拒否した萩。
美しい町に秘められたそんなエピソードをお聞きしながらの町歩きはとても楽しかった。萩を訪れるのは2回目だが、また行ってみたいと思う魅惑的なまちだ。

萩市観光協会

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