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第2回六甲山大学「ミントサロン」

六甲山大学の山麓キャンパス、ミントサロンの2回目が開催された。
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スピーカーは神戸文学館学芸員の義根(よしもと)益美さん。
六甲山を作品の中で描いている文学者についてのお話を伺った。
第1回目 は不肖にゃみにゃみ。がえーかげんなネタをテキトーに語ったのだが、今回は“大学”にふさわしい格調高いお話だった。

まず取り上げたのが田辺聖子さん。
田辺さんは、大阪市此花区(現・福島区)生まれだが、昭和41年に結婚を機に神戸へ。ご本人は“都落ち”と思っていらして「私は田舎にさらわれてきたお姫様」と表現しておられたとか。ただ、昭和40年代の神戸はそのまま描写するだけで作品になるような魅力的な街で、特に六甲山を舞台にロマンチックな物語を紡いでおられたとか。

田辺聖子さんと親交の深かった歌人の時実新子さんもまた、結婚を機に兵庫県に移り住み、六甲山を歌った方。川柳が専門なので、和歌と違って対象は人間なのだが、
「六甲に星出て星の道下る」
「おやすみを言えば届くか星月夜」など六甲山で詠んだ歌がある。

「神戸」と言えばハイカラでモダンな街、というイメージを広めたのが、稲垣足穂さん。
船場の歯科医の二男として生まれたが、明石の祖父母の元で育ち、当時原田の森(現・王子公園あたり)にあった関西学院大学で学んだ。

天台宗の僧侶でもある作家の今東光さんも、10歳から神戸で過ごし、関西学院中等部を論旨退学になる悪童ぶりを発揮したが、「悪童」という作品の中で六甲山を描きたいと書いておられるとか。

神戸の文学を語るとき外せないのが賀川豊彦さん。献身的な貧民救済活動で知られ、自伝的小説「死線を越えて 」は大ベストセラーとなった。
神戸に住んでおられたが、関東大震災が起こると救援活動のため東京へ移住。元祖究極のボランティアだ。著書は300冊を超え、1947年と1948年の2回、ノーベル文学賞にノミネートされて、このときもし受賞していたら日本人初となっていた。また1954年から3年連続、ノーベル平和賞の候補ともなった。

随筆家の岡部伊都子さんもまた六甲山を愛した方で、正月三が日は六甲山ホテルに滞在するのを習慣にされていたとか。

文学という切り口から見た六甲山。それもまた魅惑的な世界なのであった。

ちなみに、次回はアノ山上の古刹、摩耶山天上寺の副住職サマが登壇されるそうだ。楽しみ♪抽選当たりますように。

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