『暴走する原発』
事故から25年経つ今も、チェルノブイリから30km圏内は特別な許可がないと立ち入れない。高濃度汚染されて住民が強制避難して消えた村の数は458。
事故直後、大規模な住民の移動は「事故の重大性をあらわにする」という理由で反対する政府関係者が多かったという。汚染の実態を国民に知らせるべきか、秘密にしておくか、住民を避難させるか、させないでおくか・・で激論が交わされたが、その間にも避難のための準備は進められ、1200台のバスがウクライナ中から集められ、近くで待機。そして最終的には原発から10km圏内は事故の翌日、30km圏内は6日後に住民の避難が決定。妊婦と子どもはその日のうちに、それ以外の住民と家畜も翌日には移動したそうだ。
それに対して日本の対応は… 。
P209 おわりに、そして、福島へ― より抜粋
「多くの人々の健康と命より、原子力産業が優先される日本の構造が変えられるかどうか、私たちは今、試されている」
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