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『暴走する原発』

1986年に起こったチェルノブイリ原発事故のあと、Korekara周辺のウクライナやベラルーシはいったいどうなったのか。
汚染の実態、被ばくした人々は…
5年後、10年後はどうなったのか?

1992年の段階で、ベラルーシにおける小児甲状腺がんの発症率は世界平均の約20倍、ゴメリ州だと118倍になるという。自己免疫性甲状腺炎や橋本病、結節性甲状腺腫などにかかる子供も少なくないそう。
チェルノブイリ事故で放射能汚染されたエリアでは、今も現在進行形で被害が続いているのだ。


『暴走する原発
チェルノブイリから福島へ これから起こる本当のこと』
広河隆一 著
小学館 発行
2011年5月 初版発行

事故から25年経つ今も、チェルノブイリから30km圏内は特別な許可がないと立ち入れない。高濃度汚染されて住民が強制避難して消えた村の数は458。
事故直後、大規模な住民の移動は「事故の重大性をあらわにする」という理由で反対する政府関係者が多かったという。汚染の実態を国民に知らせるべきか、秘密にしておくか、住民を避難させるか、させないでおくか・・で激論が交わされたが、その間にも避難のための準備は進められ、1200台のバスがウクライナ中から集められ、近くで待機。そして最終的には原発から10km圏内は事故の翌日、30km圏内は6日後に住民の避難が決定。妊婦と子どもはその日のうちに、それ以外の住民と家畜も翌日には移動したそうだ。

それに対して日本の対応は… 。

P209 おわりに、そして、福島へ― より抜粋
「多くの人々の健康と命より、原子力産業が優先される日本の構造が変えられるかどうか、私たちは今、試されている」

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