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第3回六甲山大学「ミントサロン」

六甲山大学の山麓キャンパス、ミントサロンの3回目に参加した。
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今回は、摩耶山天上寺副住職の伊藤浄真さんがゲストスピーカー。
飲み会続きで寝不足の折柄、僧侶スタイルでいらしたので(いや、僧侶なんだけどw)、格調高いおハナシで寝てしまったらどうしよう…と不安だったのだが…。

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そこはもう、我らが“ジョウマ君”…、ちゃうわ、冥土かふぇとちゃうねんから浄真さん、なんだけど、やっぱり格調高いお話もノリノリで楽しかった。
講演後の懇親タイムに、ワインを傾けながら参加者の方々が口を揃えて「もっとお話しを聞きたかった」って言っておられた。

「ロッコウサン」の名前の由来から、六甲山周辺に点在する「六甲山」を山号に掲げるお寺のお話、お隣の?再度山大龍寺とは千年来のライバルである件、エトセトラエトセトラ。
耳に快い正統派神戸人の語り口調、タナベ節に勝るとも劣らない。やっぱNHKカルチャー神戸教室のアノ講座、受講するべきやったな…

六甲山大学「ミントサロン」第1回目
六甲山大学「ミントサロン」第2回目
 ↑現在、にゃみにゃみ。皆勤賞!

※「冥土かふぇ」とは…
 仏教的には、死後には、初七日~四十九日まで7日ごとに“審判”が行われる。中でも、三十五日は閻魔様の審判の日。
旧暦の七月十六日は閻魔様の縁日で、その前日の十五夜に“歌垣”的な催し、一種の供養を、という意味なのだそう。
(「供養」というのは、現世に在る者が善行を積むことによって死後の人を助けること。)

また、「山」というのは、人が暮らす「里」や、自然の恵みをいただく「野」の上、奥にあり、清らかな場で、水源でもあることから潤いをもたらしてくれる聖なるところ。古来日本人は奥山には神仙が宿ると考え、聖なる場として敬ってきた。その山へ行くということは、“自分を洗濯する”ということ。

「冥土」は、生きている人間にとって目に見えるものではないが、「見えない」=「存在しない」ということではない。「見えなくても存在するもの」を認める方が人生豊かなのではないか。

…極にゃみ的解釈なので浄真さんの伝えたかったこととはもしかしたら少し違うかもしれないが。とても有意義なお話を伺うことができた。ありがとうございました。

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