« あまぐり・ジェラート「万寿庵」 | トップページ | 第44回エコツアーカフェin KOBE »

『単独行』

“国宝的登山家”加藤文太郎氏の著名な本、なんと極にゃみ的には未読だった。
Dsc08380
広島岳人であるFukuちゃんの父上様の蔵書をお借りして、ようやく読む機会に恵まれた。

1905(M38)年3月11日、兵庫県美方郡浜坂町(現・温泉町)に生まれた文太郎氏。尋常小学校卒業後神戸に来て、三菱内燃機製作所(現・三菱重工業)に勤務しながら兵庫県立工業学校夜間部を卒業。1925(T12)年頃から本格的に登山を始める。

当時登山はまだ大衆化しておらず、装備も高価。案内人を雇って行くのが一般的なブルジョア階級にのみ許された特権的な遊びだった。そんな中、ありあわせの服装に地下足袋で登る同氏は異色の存在だったが、超人的な体力と不屈の意思により、槍ヶ岳の冬季単独登頂を果たすなど数々の輝かしい記録を成し遂げ、「単独登擧の加藤」、「不死身の加藤」として知られるように。そして、1936(S11)年1月、吉田富久氏と共に挑んだ槍ヶ岳北鎌尾根で遭難、30歳の生涯を閉じた。
それまでの約10年間の記録をまとめたのが本書。
Dsc08381
序文を、藤木九三氏が寄稿している。
一部を抜粋してみる。

序 生まれながらの単独登山者 藤木九三

 がっちり組んだ四ツ相撲―わたしはかつて加藤君の山の登り方について、そういう風のことを筆にしたことがある。実際加藤君はいつも正面から正々堂々と、「山」にぶつかって行った。その勇気、沈着、用意周到な挑戦ぶりは、まったく男らしさという形容に尽きていた。そして加藤君こそ、わが国の登山史を通じ、身をもって『単独行』の実践に偉大な業績をのこした第一人者であった。もちろん加藤君にしても、いつも山に勝ってばかりいなかった。否、むしろしばしば山に組伏せられた。しかし彼の意気は、こんな時にでも決してひるまなかった。そしてより以上な熱と、克己の勇を鼓して戦いを挑んだ。

本文からも一部抜粋。

「私の登山熱」
 私は神戸に来てから三年くらい旅行の味を知らなかった。大正十年遠山様設立のデデイル会(三菱)に入ってからこの味が少しわかりだし、大正十三年以来兵庫県内の国道と県道を四百里ほど歩いた。大正十四年の八月終りには蓮華温泉から白馬岳に登り鑓温泉に下り、吉田口から富士山に登り御殿場に下山を皮切りに、九月には大峰山脈を縦走し大台ケ原山に登った。十月には大山に登り船上山へ廻ってみた。(略)
 これらの登山中私はいつでもリーダーなくただ一人だったから、日数は割合多く費やしたが費用は少なくてすみ、精神修養、山への自信等多くの利益を得た。(後略)

「兵庫立山登山」
 私は兵庫県と鳥取及び岡山県境の山脈を兵庫アルプスといい、海抜一五〇〇メートル一の氷ノ山を兵庫槍、三室山を兵庫乗鞍、一番南の一三四四メートル六の山を兵庫御嶽と呼んでいます。扇ノ山は頂上が全部鳥取に入っているから、この山の前山を兵庫立山ということにしました。この立山の高さはよくわかりませんが、一二八〇メートルくらいでしょう。(後略)

「山と私」
 私はしばしば山に登る。それは山がいつも私の前に立っており、私はただわけもなく、それに登りたくなるものだから。あながち「岩の呼ぶ声」に惹きつけられるというものでもない、私にはむしろ岩は多くの場合恐怖の対象物でしかあり得ない。「雪と氷を追って」私の若い血汐が躍るのでは更にない。「白い芸術」は私には余りに遠い世界に距っており、氷の労作(アイス・ワーク)は私には肉体的にも精神的にも余りにも大きな負担であり、痛苦と屈服をのみ与えこそすれ、なんら戦闘意識といったものすら起こし得ないからである。私には、私の山、一〇〇〇メートル級の山々の何物をも限界から奪い去るひどいブッシュの中であってもいいのだし、また単に山々の懐ろ深く入りながら、かえって峰々の姿も見ないで谷から谷へと歩くばかりでもいいのである。
 私はたびたび山に登る。それは山がいつも私の前に立っており、私はただわけもなくそれに登りたくなるものだから。そしてそのたびに私は私の職務を休まねばならない。しかし私は誰かのように、「月給の奴隷ではないんだから」好きなときには休むというほど大それた反逆児?ではない。私の今の現実の生活は冷たくあっても決して夢でもなく、道楽でもない。私が余裕のある人々の夢のままを追ったとき、そこには破滅の外の何物が待っていよう。
 私はしばしば山に登る。仕事を休んでまで。しかしその理由はいたって簡単だ。誰しもが何らかの理由で休むだろう一年の五、六日を、私はただ山登りに利用するというまでなのである。日曜と休日をいかに組み合わすべきかは、従って、私の山行の企画における最も重要な鍵点である。
 山行の経済はまた私にとって相当の問題を提供する。しかしこれは他人の考えるほどには私にとって問題でない。私は要するにごく簡単なのである。山よりほかに金の費い途を知らないのだから、それに、私の山行ではガイドやポーターといったものにいささかの支払いもしなくてすむし、食糧にしろ他の道具にしろ普通の人から見ればごく簡単なものでよい。
 私はしばしば山に登った。が、多くの人とともに計画し、登山したことははなはだ稀だ。私には独りで登山しても充分の満足が得られるのだし、殊更に他の人を交えてお互いに気兼ねしあう必要はないのだから。
 私はしばしば山に登ったし、また今後も登って行きたい。そしてとにかく私は信じている、山は、山を本当に愛するものすべてに幸を与えてくれるものだと。

「単独行について」
 今ここに単独行について書くところのものは私一個人の考察であり、何ら他の単独行者より得たものではなく、多くの独断をまぬがれないと思うが、ともに山に登るものである以上、ある程度までは共通性をもっているものと信じてうたがわない。
 わが国にも多くの単独行者を見いだすが、大部分はワンダラーの範囲を出でず、外国のアラインゲンガーの如く、落石や雪崩の危険のため今まで人の省みなかったところを好んで登路とし、決して先人の後塵を拝せず、敢然第一線に立って在来不能とされていたコースをつぎつぎとたどる勇敢な単独行者(水野氏著岩登り術)とは似ても似つかぬほどの差があるであろう。
さてかくいう単独行者はいかにして成長してきたか、もちろん他の多くのワンダラーと同じく生来自然に親しみ、自然を対象とするスポーツへ入るよう生れたのであろうが、なお一層臆病で、利己的に生れたに違いない。彼の臆病な心は先輩や案内に迷惑をかけることを恐れ、彼の利己心は足手まといの後輩を喜ばず、ついに心のおもむくがまま独りの山旅へと進んで行ったのではなかろうか。かくして彼は単独行へと入っていったのだが、彼の臆病な心は彼に僅かでも危険だと思われるところはさけさせ、石橋をもたたいて渡らせたのであろう。彼はどれほど長いあいだ平凡な道を歩きつづけてきたことか、また、どれほど多くの峠を越してきたことか。そして長い長い忍従の旅路を経てついに山の頂きへと登って行ったに違いない。すなわち彼こそは実に典型的なワンダラーの道を辿ったものであろう。かくの如く単独行者は夏の山から春―秋、冬へと一歩一歩確実に足場をふみかためて進み、いささかの飛躍もなさない。故に飛躍のともなわないところの「単独行」こそ最も危険が少ないといえるのではないか。(中略)

 我々は何故に山へ登るのか。ただ、好きだから登るのであり、内心の制しきれぬ欲求に駆られて登るのであるというだけでよいのであろうか。それなら酒?みが悪いと知りつつ好きだから、辛抱ができぬからといって酒を?むのと同じだといわれても仕方があるまい。だから我々は山へ登ることは良いと信じて登らなければならない。山へ登るものが時に山を酒?みの酒や、喫煙者の煙草にたとえているのは実に片腹痛いのである。もしも登山が自然からいろいろの知識を得て、それによって自然の中から慰安が求めえられるものとするならば、単独行こそ最も多くの知識を得ることができ、最も強い慰安が求めえられるのではなかろうか。何故なら友とともに山を行く時はときおり山を見ることを忘れるであろうが、独りで山や谷をさまようときは一木一石にも心を惹かれないものはないのである。もしも登山が自然との闘争であり、自然を征服することであり、それによって自然の中から慰安が求め得られるとするならば、いささかも他人の助力を受けない単独行こそ最も闘争的であり、征服後において最も強い慰安が求めえられるのではなかろうか。ロック・クライマーはただ人が見ているだけで独りで登るときよりはずっと気持ちが違うというではないか。(後略)

遠山豊三郎氏が記した後記から、六甲全山縦走に関する記述部分を抜粋。

 一度推されて幹事になったときのこと、神戸背後に蜿々五十キロを起伏して連なる、六甲山脈の全縦走を企画して当時にあっては珍しい塩屋から宝塚まで完全縦走を成し遂げた。会員の多くはコースの途中で分岐して下山して行ったが残された加藤君は、ただ一人で峰々を辿って宝塚へは提灯をブラ下げて夜の九時頃に到着したものである。このときに時間が遅くなった理由は彼が同時に世話役としての勤めがあったためで、同じ六甲全縦走を単独で行った記録としては大正十四年に一度、午前五時に会社の合宿(和田峠)を出て市内を歩いてまず須磨に行き、敦盛塚のところから、須磨アルプス高取山、再度山、摩耶山、六甲山、東六甲宝塚を縦走してまだ歩き足らず西宮へ出て街道を神戸に入り、和田岬に戻るまで合計一〇〇キロの長距離をガンバって歩いている。このときは翌朝午前二時に帰ったそうだが、もちろん会社へは平気で出勤したものだ。

『単独行』
加藤文太郎 著
二見書房 刊
昭和45年9月 初版一刷発行
昭和45年10月 再版
昭和46年1月 3版

初出は、私家本の遺稿集として同タイトルで発行、のち1941(S16)年に朋文堂から刊行。二見書房版は同社の「山岳名著シリーズ」の一冊として、深田久弥『雪白き山』、松濤明『風雪のビバーク』、藤木九三『ある山男の自画像』などと共に刊行された。

現在、復刻版としてヤマケイ・クラシックスシリーズから2010年11月に『新編 単独行』が発行されている。

また、「青空文庫」で閲覧することも可。…ココ!

|

« あまぐり・ジェラート「万寿庵」 | トップページ | 第44回エコツアーカフェin KOBE »

コメント

お貸しした僕もまだ未読でした(笑)
読まなくては!

兵庫アルプスに兵庫立山!
一度、トライしてみたいと思いました。

投稿: Fukuzo | 2013年3月19日 (火) 11:34

あらら、fukuちゃん未読だったのか、
早くお返しせねばっ…

古い時代のものだけに、文体的になかなか読みにくかったので時間がかかってしまったのと、やっぱり思い入れのある文太郎さんの文章なので、じっくりゆっくり読みたかったのです。

読み応えありますよー。貴重な本をありがとうございました。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2013年3月19日 (火) 11:46

ぜんぜん、ゆっくりでいいですよ〜。
僕もさわりだけ読んだ時にこりゃちょっと読みにくそうと思ったので(^^)/

投稿: Fukuzo | 2013年3月19日 (火) 13:17

はーい。次回お目にかかるときに…
(っていつやねん…)

投稿: にゃみにゃみ。 | 2013年3月19日 (火) 14:59

>友とともに山を行く時はときおり山を見ることを忘れるであろうが、
独りで山や谷をさまようときは一木一石にも心を惹かれないものはないのである…

同感noteこれが単独行の真骨頂でしょう。

僕の知りうる昔から一人で山をやってる人間は…山に入って3日や四日帰ってこない。
真っ黒に日焼けし、寡黙で優しい。
愛すべき山人なのだ…という話をしていたら…

「ヤマ行をナンパの手口に使う“くちさきオヤジ”もいますけどねannoy!」
って女子達がキッとなって言った。

突然…現実に戻ったsweat01

投稿: オバカッチョ | 2013年3月21日 (木) 08:43

山に悪人はいない…ってのは幻想だけど、
真摯に、そして謙虚に山と向き合っているひとに
悪人はいない…と思ってます。。。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2013年3月21日 (木) 08:48

>山に悪人はいない…ってのは幻想だけど…

確かに!

地上では
嫌がる婦女子達のお尻を
追いかけまわして
ヒンシュクを買っていても…

山やってるってだけで
勝手に信じてしまうところが情けない…
まして同行山姥の存在は判断を鈍らせる。

にゃみさんが正義感に燃えていたころ
“東京”は最悪でした(笑)

まあ、今もなかったことのように行動していますが…


投稿: オバカッチョ | 2013年3月21日 (木) 16:32

思えば不思議なご縁ですよね、
何の接点もないはずが、こうしてコミュニケートしてるんですよね、私たち。

面白いじゃないですか。

(すみません実害ないからお気楽なことを言ってるかもだけど… いや、その系のコトはじつはあまり気にしてないとゆーか… 自分には関係ないからスミマセン的な…。 二者関係に関しては、当事者にしかわからん部分があるので、考える気もないとゆーか。だって個別にそれぞれでしょ?)

投稿: にゃみにゃみ。 | 2013年3月21日 (木) 22:54

>思えば不思議なご縁ですよね…
すべて世の中には無駄なことはない!!
という寒天から考えると…

>面白いじゃないですか…
って所ですよね!

良心的でポジティブな発想だわ。
でも良心のない人間にとっては利用しやすい人かも。

他人のもめ事など
>自分には関係ないから
>当事者にしかわからん部分があるので…
本当は関わりたくないでしょうに!

面識浅い
何も知らないあなたを
こんなことに巻き込んで…
またもや、おっさんぶりっこじゃん。

投稿: オバカッチョ | 2013年3月25日 (月) 15:40

えーっと、

面識浅い、ってより面識なくないですかー(爆

それなのにこうやってときどきやりとりしてる不思議さと言うか、面白さ。

私は楽しんでますよ。


>でも良心のない人間にとっては利用しやすい人かも。

だいじょーぶです。
こんだけノーテンキだと、だまそーって気にもならんみたい。

“困ったヒト”はけっこう次々に現れても、
本気で“悪いヒト”には遭ってことないんです。
(気づいてないとしたらそれはそれでいいでしょー)←やはりノーテンキ。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2013年3月25日 (月) 22:29

>えーっと…面識浅い、ってより面識なくないですか

こういう蔦わっていかないところが
バーチャルの於模ろいところやな。dash

投稿: オバカッチョ・コンビ | 2013年3月26日 (火) 09:35

>私はしばしば山に登った。が、多くの人とともに計画し、登山したことははなはだ稀だ。私には独りで登山しても充分の満足が得られるのだし、殊更に他の人を交えてお互いに気兼ねしあう必要はないのだから。
 私はしばしば山に登ったし、また今後も登って行きたい。そしてとにかく私は信じている、山は、山を本当に愛するものすべてに幸を与えてくれるものだと。

この行はいいな~

僕の廻りにもいたこんなヒト。
現世的には偏屈環漂ってる人間だったけど…死んじゃった、病気で。

こういう人間すくなくなって…お祭り騒ぎになってるし
山…妙に調ってる。
何処に無化ってるんだろう。

投稿: オバカッチョ | 2013年3月26日 (火) 11:10

何処に無化ってるんでしょうねー。

でも、いいんですよ、それぞれで。

私もこの部分、とても好きです。

投稿: にゃみにゃみ。 | 2013年3月26日 (火) 15:41

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« あまぐり・ジェラート「万寿庵」 | トップページ | 第44回エコツアーカフェin KOBE »