4/30 マウントラボ@グランフロント大阪
お題は「六甲と近代登山」。
日本における「登山」活動の最も古い記録は、701年に佐伯有頼(慈興上人)が開山した立山登山。続いて、717年、泰澄による白山開山。日本の登山は信仰とともに始まった。
近代アルピニズム発祥は明治時代、六甲山から。1874年にW.ガーランド、アーネスト・サトウが六甲山に登ったのがその始まりとされる。
その後、六甲山で登山熱が高まり、RCCが結成されたのが1924年。藤木九三らが活躍するも、第二次世界大戦で一時衰退。1945年に終戦を迎え、登山熱が一気に復活し、大衆化が進む。
1957年に日本隊がマナスルに初登頂、1983年に日本人初のエベレスト登頂で登山ブーム再燃。
しかし、その後の「ハードフリーレボリューション」により、組織登山から個人へと価値観がシフト。フリークライミングの台頭と比例するように社会人山岳会が弱体化。
「4級A1が限界」とされていた常識が覆され、六甲山ではいち早く保塁岩に6級、7級のルートが拓かれた。「骨と皮同人」が先鋭的なクライミングを行った六甲山はまさにハードフリーの舞台になった。
その後、登山界ではソロブームが起きて…という感じで、日本の登山界の変遷を語ってくださった。
近年では馬目さん、花谷さんらによって「ピオレ・ドール」を受賞するような快挙もあり、チーム登山が再び注目される一方、各地で気象条件などにより「入山規制」が敷かれる状況も。かつてはみられなかったこのような動きは、入山しても大丈夫なコンディションかどうかを自分で判断できないような登山者が増えたことが原因?
規制そのものの可否はさておき、今はそうしないと状況判断もできないレベルの人が増えている。このGWも遭難が多発しているが… というようなお話であった。
1990年のトランゴ・ネームレスタワーのエピソードはちょっぴりほろ苦い感じで聞かせていただいたけど…
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