« ラジオでちょこっとトーク | トップページ | 『別冊PEAKS 山岳縦走ギアガイド2013』 »

『ぼくは猟師になった』

1974年伊丹生まれ、商店や民家の中に水田や畑が残るような“街の中の田舎”Bokuha_ryoshiに生れた著者。小さいころから生き物好きで、獣医を志すものの、実験動物の犠牲について考えたりするうちに一転、民俗学に興味を抱き京都大学文学部へ。しかし、ディープな寮生活にどっぷりとハマり、ほとんど授業に出ないまま3年間を過ごした挙句に4年間の休学を決意。一年間アルバイトに精を出してアジア放浪へ旅立つ。植民地支配からの独立を目指す混乱期の東ティモールでボランティアとして関わるものの、「自分の生まれた土地に責任を持ってそこで暮らすべき」と悟って帰国。復学に向けてバイトを再開した先で猟師の先輩に出会う。銃を使わない伝統的なワナ猟を学び、在学中に狩猟免許を取得。現在は運送会社で働きながら猟を行う兼業猟師。

イノシシやシカ、カモやスズメなどを捕えるほか、休猟期には山の倒木を集めて薪を作ったり、ツクシやノビルなどの野草、マタタビやクワの実などを採ったり、潮干狩りでマテ貝を捕ったり…と自然の恵みと共に生きている。

ぼくは猟師になった
千松信也 著
リトルモア 刊
2008年9月 初版発行
装画:伊藤存


まえがきにこう書く。

 狩猟というと「特殊な人がする残酷な趣味」といった偏見を持っている人が多いです。
 また、狩猟をしていると言うと、エコっぽい人たちから「スローライフの究極ですね!」などと羨望の眼差しを向けられることがあります。でも、こういう人たちは僕が我が家で、大型液晶テレビでお笑い番組を見ながら、イノシシ肉をぶち込んだインスタントラーメンをがつがつ頬張っているのを見ると幻滅してしまうようです。


あとがきより

 七度目の猟期を迎えて思ったのは、やはり狩猟というのは非常に原始的なレベルでの動物との対峙であるが故に、自分自身の存在自体が常に問われる行為であるということです。地球の裏側から輸送された食材がスーパーに並び、食品の偽装が蔓延するこの時代にあって、自分が暮らす土地で、他の動物を捕まえ、殺し、その肉を食べ、自分が生きていく。その全てに関して責任があるということは、とても大変なことであると同時にとてもありがたいことだと思います。逆説的ですが、自分自身でその命を奪うからこそ、そのひとつひとつの命の大切さもわかるのが猟師だと思います。
 猟師という存在は、豊かな自然なくしては存在しえません。自然が破壊されれば、獲物もいなくなります。乱獲すれば、生態系も乱れ、そのツケは直に猟師に跳ね返ってきます。
 狩猟をしているとき、僕は自分が自然によって生かされていると素直に実感できます。また、日々の雑念などからも解放され、非常にシンプルに生きていける気がします。

これを読んで思い出すのは、「サバイバル登山家」『サバイバル!―人はズルなしで生きられるのか』の2冊だが、服部氏と千松氏では何かが違う気がする。それは、生き方の軸足の問題なのか、それとも…

|

« ラジオでちょこっとトーク | トップページ | 『別冊PEAKS 山岳縦走ギアガイド2013』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ラジオでちょこっとトーク | トップページ | 『別冊PEAKS 山岳縦走ギアガイド2013』 »