『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』
「花は散りゆけど、その香は残る」真田幸村(信繁)の父、真田昌幸が遺した言葉、という一言から始まる小説で、大坂冬の陣・夏の陣での戦いをテーマとしている。
“真田十勇士”をはじめ数多くの作品に登場する真田幸村だが、本書もその例にもれず、九度山での長い蟄居の末に華々しく戦花を咲かせ、悲劇的に散っていくまでをドラマチックに描く。
ここ数年、戦国武将ブームだけど、やっぱ真田幸村が一番好きかなぁ。もしかすると昔々TVで見た『風神の門』の竹脇無我か、映画『真田幸村の謀略』の松方弘樹がカッコよかったとか(タイプ違いすぎか…)、そんな理由かもしれないけれど…
『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』
海道龍一朗 著
集英社 刊
2012年11月 初版発行
ただ、秀頼の生母“淀の方”を「淀君様」と書いているのを見て一気にテンションダウンしちゃった。豊臣側から描きながらその表記はないだろう…。
時代小説ならではのドラマチックな表現は、日常にないだけになかなか新鮮な感じもするけど。主人公が安居天満宮の境内で自決する直前のつぶやきを転記してみる。
―真田の里の蓮華躑躅の如く、花は人智の及ばぬ処で咲き誇る。誰もその咲姿を見ておらず、その散際さえも覚えていないことがあるやもしれぬ。それでも、花は咲きまする。まるで、自らがその場を選んだかのように。それは、人も同様であり、否応なく生れ落ち、否応なく死んでゆく。されど、人は命を咲かす場を選ぶことができる。また、死にゆく場所を選ぶこともできるのであろう。真に往きたい場所を見出した時だけ、人の生様に宿る華は、その芳香を放つことができるのだ。
ひとは、生まれ落ちるところを選べないし、どう生きるかすら思い通りにはならないことも少なくないけれど、せっかくこの世に受けたいのち、「真に生きたい」場所を見出すことができるなら、それは真に幸せなことなのだろう。ドラマチックな人生でなくても、よりよい存在として生きる努力は、ささやかでも続けたい。せっかく授かったいのちに感謝して…。
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