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『閉経記』

出産・育児、摂食障害、うつ病、家庭崩壊など「女の波乱万丈フルコース」をHei_itoテーマに数々の作品を発表してきた詩人の伊藤比呂美さんの近著。「婦人公論」の連載「漢である」をまとめたもので、この「漢」は「おんな」と読ませる。作中では「おばさん」とルビが振られているところもある。

「漢と書いて“おとこ”と読ませる人もいるけれど、オジサンたちは絶対“漢”じゃないと思う。女の方が“男気がある”人が多いから。男気というか、正義心とか公共心みたいなものかな。」(サイゾーウーマンインタビューより)

内容は、ま、タイトル通りだ。後に書く。

『閉経記』
伊藤比呂美 著
中央公論新社 刊
2013年1月 初版発行

『閉経記』刊行インタビュー(サイゾーウーマン)

そういえば、大塚ひかりさんの『いつから私は「対象外の女」』を読んだのが6年前。今思えば、アノ頃はいろいろ“現役”で、「手を伸ばせばすぐそこに更年期がある」って言われても、全くピンと来てなかったのだけど…いまやすっかり、いろんな意味で“引退”モードだなぁ。

さて本書の内容。
更年期を迎えた女の身に起こるあれやこれやを赤裸々につづったものだ。
日本人女性の平均的な閉経年齢は51才。にゃみにゃみ。まさにそのトシ!
ずっと「老眼ってナニ?」とかほざき続けてきたが、近ごろ薄暗いと小さい文字がよく見えなかったりする。地形図のコンターラインがうまく読み取れないこともある。そして、「更年期障害ってナニ?」と思ってきたが、この本によると、思い当たるフシが… あったりするのである。更年期、平均して45~55歳くらいに起こる現象であるらしい。もしやそろそろ?
なんてタイムリーなテーマなのだ。と、この本をたまたま手にしたタイミングに驚いている。

少々抜粋してみる。コレが面白いと思えたら、きっと「漢」だね。


経血や
しょぼしょぼしょぼと
寂しそう

 おっと。タイトルから飛ばしてしまった。
 こんなことは男の前じゃなかなか言えない。いくらあたしだって多少の恥じらいが、いや月経や経血については恥じらいなんてないので、気遣いないし思いやりと言おうか。しかしここは『婦人公論』。男が買って読んでいるとは思えない。だから、経血経血経血とへーきで言える。
 ところが、女でも好きじゃない人は多いらしい。こないだも同い年の友人が、あんなめんどくさい思いはもうこりごり、と言っていたが(つまり彼女はもう閉経したのである)、あたしはそうは思わない。
 何回か失くした。摂食障害の激やせ時代に。複数回の妊娠期に。でもいいつもまた戻ってきた。ずっと苦楽を共にしてきた。このために苦労もしたけど、このためにさんざんおもしろい目にも遇ってきたのである。
 とにかく、今月の月経はしょぼくれている。
 あたしは五十五、これは「ナマ月経」ではなく、ホルモンを補充して出している「ニセ月経」なんである。ナマとニセというのは、村崎芙蓉子先生からの受け売りだ。芙蓉子先生とは『男子禁制』というテレビ番組で出会い、その生きざまに惚れ込み、先生の実践するホルモン補充療法をやってみたくなり、銀座のクリニックに通いはじめた。あたしはなかなか東京にいないし、先生も毎月クリニックにいるわけじゃないので、苦心惨憺して通っておる。
 更年期は、障害どころじゃない。おもしろくてたまらない。
 年を取る変化が何もかも、しみもしわも白髪も、子どもの頃のアトピーみたいに出没するいろんなアレルギーも、身体の中にとつぜんだるまストーブが出現するようなホットフラッシュも。
 若い頃の、わけのわからないうちにあれよあれよと起きた身体の変化とはちがって、こちとらおばさんで、何にも動じない。自分の変化が手に取るように観察できた。観察してみたら、自分は自分であった。更年期になって、一皮も二皮もむけたと思った。我ながら。
 あたしが若い女だった頃、ちょうど母がこの年頃で、更年期障害がつらいつらいと言っていた。母はつわりもつらかったそうだ。お産も痛くてつらかったそうだし、どうもセックスも好きじゃなかったようだ。
 で、あたしは、そう聞かされて育ったから覚悟していたのに、へでもなかったのである。
 更年期障害やマタニティブルーは、ホルモンの変化だから誰でもなりうる、と芙蓉子先生に教えられた。
 つまり、母はホルモンに影響されていただけなんだろうけど、なんとなくそこで、女というものは……という諦念や手枷や足枷や女であることへの罰みたいなものさえ感じるタイプの女だったようで、経血も、自分の身体も、産んだ子ども(あたしだ)も、さぞかしうっとうしく感じていたんだろうなと、娘は思っていたものだ。
 芙蓉子先生には、ホルモンの手始めに、避妊用のピルを数ヵ月間処方された。三週間飲んだら四週目には月経が来るやつだ。それがいわゆる「ニセ月経」だが、それでも、来たときにはうれしかった。
 うっとうしいのめんどくさいのという気はまったくない。再開というよりは再会、旧友との。そしてそれは、まるで三十代の頃みたいに勢いよくほとばしり出た。まっ赤な血は、夜空いっぱいの打ち上げ花火や運動会にはためく国旗みたいに、祝祭的であった。(後略)



五十五の
やぶれかぶれの
色気かな

 昔から、女であることを武器にして世間の荒波を泳ぎ渡ってきた。といっても、化粧してセクシーでウッフンではなく、お嬢さま奥さま路線でもなく、むしろむき出しの、性は女、社会的な役割としても女だけど、社会的に「良い」「美しい」と認められている性質はなんにも持たない。ま、そういう路線だ。鬼子母神というか、山姥というか。それで書き続けておる。
 こないだ青森という、あたしにとってはアウェーの土地で朗読をした。定番の比呂美訳般若心経を読んだり、青森のみなさま向けに太宰治あての手紙を読んだりした。その手紙は自分で書いた。太宰の、あの過度に女らしい女口調の文体をまねたので、女のあたしが読んだらいやが上にも女らしくなまめかしく聞こえるだろうということは承知の上だった。終わった後に、あたしと同世代の男から「すごい色気ですね」と言われた。「だってもう六十近いんでしょ?」と。いやまだ五十五だと言い返したら、「四捨五入したら六十」と軽くいなされた。「それにしてもすごい色気だ、いや、すごかった」と。
 これはほめことばであった。たぶん、ほめことばであった。
 それからずいぶん経つのに、まだそれについて考えておる。あたしは「六十近い」と言われたことに、「(それなのに)色気が(あるべきではないのに)ある」と言われたことについて考えておるのだ。
 老いるという事実。老いたという事実。どの事実も「不安」にむすびつく。六十という境が、まだ経験していないあたしにとっては、地面の裂け目みたいに、くろぐろと横たわっている。そこをくぐったらいよいよだと観念しつつある。
 三十の境は一歳児を抱えて妊娠中で忙しかった。四十の境も妊娠中で忙しかった。五十の境は更年期をおもしろがっているうちに過ぎの戸を、明けてぞけさは、もう半分まで来てしまった。
(中略)
 つまり、あたし本人は、まだ性的に現役と思っておる。
 この年になれば女は、化粧すりゃ「妖怪」で、しなけりゃ「ばばあ」だ、とどこかに書いた。自分たちをヤユして書いた。あたしは人前に出るときは化粧する。「ばばあ」になり切る覚悟はできていない。でも他人から見れば、たぶん、いや絶対、とっくの昔に「ばばあ」なのである。
 性的には現役だが、新しい男と新しく関係を持つ、そのために自分を飾る、やせる、みがく、なんつーことはもうしない。する気にならない。しなくていい。たとえクリスチャン・ベールのような男があらわれても、おっ、などとは思わない。見てるだけでいいのである。
 これはあたしの実感。あたしばかりじゃなく、同い年の友人一同みんな証言している五十五歳の実感。(後略)

ところで、アレだな、オッサンなのに更年期、なにゃみにゃみ。って…なんだかもの哀しいぞ。オヤジの悲哀そのものってか?

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