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『黒部の太陽 完全版』

この雨で講座が順延したのである。で、シネ・ピピアに『黒部の太陽 完全版』をKurobe_taiyo観に行くことにしたのである。1963年に完成し、今年50周年を迎えるくろよんダム建設を壮大に描いた作品。(私の2歳下)
1968年公開、三船敏郎×石原裕次郎という当時の日本映画界を代表する二大スターが出演&制作に関わり、構想4年、当時の日本映画史上最高の製作費といわれた3億8千900万円(現在の価値に換算すると13億2千万円超?)を投じて製作されたという超大作だ。

作中で、石原裕次郎が演じる岩岡剛が、フォッサマグナが通る山域での工事の困難さを予見し、三船敏郎演ずる北川次長に向かって「何のために建設するのか?」と問うシーンが印象的だった。

セリフ回しは覚えていないが、戦時中に強行した第三ダム建設は300人もの犠牲者を出したが、“お国のため”だった。ではこの第四ダムは何のために困難を押して(人命が失われる可能性があるのに)建設しなければならないのか?と問う。
そして着工が決まったあと、黒部を愛する山ヤでもある岩岡は「最後に元のままの姿を見ておきたい」と山へ向かう。

人の命や自然より、“お国”だの“経済”だのを優先するあり方に対して、自然が、山が好きな人種は懐疑的だというのはきっと時代が変わっても同じなのだろうと思った。

それから、破砕帯を掘削しようとして、何度もすさまじい量の出水があり、岩盤が崩落し…という場面を見ながら感じたのは、「山が怒ってる」。
そしてザンベジ川のダム建設のことを思い出した。←にゃみにゃみ。のナゾここにあり。

いまや“自然に優しい”印象のある水力発電所だが、よく考えるとダム建設によって元の自然環境は大きく改変される。もちろん、原子力発電所のことを思えばその影響は限定的で、火力に比べればCo2の排出もなく、環境保全に対するメリットは大きいのだが。

ところで、山ヤにとってもお馴染みの「くろよんダム」建設について少し解説してみる。

1950年代、戦後の経済復興が進む中、電力不足が深刻化。「日本の経済発展」という大義名分のために、日本一と言われる大きな高低差と豊かな水量を持つ黒部川に、第4番目の水力発電ダムを建設する計画が立ち上がる。しかし、その険しい地形と冬の豪雪のため、下流からのアプローチは非常に困難。
それまでに、黒部峡谷には3つのダムが建設されていた。黒部初の発電所となる「柳河原発電所」は大正13年着工、3年後の昭和2年完成。第二は昭和8年着工、11年完成。最も困難を極めたのが第三で、第二次世界大戦前の1936(S11年)9月に着工したものの、岩盤温度が摂氏165度にも達する高温地帯が出てきたり、冬には「泡(ホウ)」と呼ばれる黒部特有のすさまじい大雪崩が起きて、工事現場にあった「志合谷宿舎」が吹き飛ばされて84名が犠牲になるなど、吉村昭の小説『高熱隧道』に描かれた通りの想像を絶する“無謀”工事だった。危険すぎるため、警察から工事の中止命令が出されたが、「国家総動員法」によって撤回され、最終的に300人もの犠牲者を出して昭和15年にようやく完成したという痛ましい歴史がある。

さらにその上流に計画された第四、通称「くろよん」ダム。まずは扇沢から黒部川へ作業用のトンネルを掘削することを計画し、1956(S31)年8月着工。扇町側からの「第三工区」を熊谷組が、黒部側からの「第一工区」を間組が請負った。黒部側には建設資材が運搬できなかったため、立山から人力によるボッカで荷揚げし、当時ですらとっくに時代遅れの手作業で掘削が進められた。
メインは扇沢側からだったが、着工当初は一日の掘削距離約10mと当時では画期的な速いペース(一般的には4m程度)だったが、翌年5月、約2600m掘り進んだところで破砕帯にぶつかった。地殻変動によって細かく砕かれた岩石が大量の地下水を含んだ脆弱な地層で、毎秒660リットルもの水が噴き出し、掘っても掘っても崩れて前進できない状態に。
水抜き用のパイロットトンネルを次々と堀り、ボーリングをしながら、水量が減る冬季に向けてハイドロック工法(特殊な薬液を注入して固めてから掘削する)などを駆使して作業を進め、悪戦苦闘すること7か月でようやく82mの破砕帯を突破。その後は順調に作業が進み、1958(S33)年2月25日の午後7時40分、ついに貫通。
黒部川から「迎え掘り」をしていた間組は、ほとんど人力だけで923mを掘り抜いたのだった。

そして同年5月21日、全長5.4kmの「大町トンネル(現・関電トンネル=立山黒部アルペンルートのトロリーバス区間)」が1年9か月の歳月をかけてようやく完成した。
総工費は関西電力の資本金の5倍にあたる513億円、作業員の延べ人数は1,000万人超え。171人もの殉職者を出した難工事であった。

くろよん50周年記念

黒部川電源開発※関西電力サイト内

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