『陸軍登戸研究所』
主要都市を空襲で焼かれ、ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下され、多くの都市が焦土と化して敗戦を迎え、そこへ豊かさと近代化の象徴のようなアメリカが乗り込んできて、以来この国は、なんとなくアメリカに対するコンプレックスとか、“被害者気分”的なものを内に秘めながら戦後を過ごしてきたせいか、往々にして“加害者”であったことを忘れがちだ。
先日読んだ『観光コースでない広島』も、副題は「被害と加害の歴史の現場を歩く」となっているが、非戦闘員を含む多くの国民の命が失われたのと同じく、他国に対する加害の事実も厳然としてある。しかし、アジア諸国に対して侵略を行ったことは歴史の授業レベルで認識はしていても、防諜、謀略、秘密兵器の開発などが秘密裏に行われていたことはほとんど知られていない。
その拠点となったのが、陸軍登戸研究所。敗戦と同時に「証拠湮滅」の命が下され、歴史上から“消滅”した。
殺人光線、生物・化学兵器、毒物・爆薬の研究、風船爆弾、ニセ札製造…
それらに携わった研究員、作業員、学徒動員で風船爆弾の製造に関わった女学生たち、陸軍中野学校OB… ほとんどの証言者が80代、貴重な生き残りの証言者たちがカメラの前で語ってくれた。はっきり言って、今でなければ作れなかった作品。間に合ってよかった。
そして秘密保護法だのなんだのというキナくさい臭いが漂い始めている今のこの国で、一人でも多くの人に見てもらいたい作品。
★公式サイト「陸軍登戸研究所」
大阪…シアターセブンにて上映中。20日(金)まで
神戸…元町映画館 来春1月11日(土)より
極にゃみ的レビューを少々。
潤沢な予算があったわけではないので、見た目は地味だが、誠実な手法で作られた良質のドキュメンタリー。ご高齢の当事者に現地に足を運んでもらったり、ご自宅などでも直接インタビューを重ねているのは非常に貴重。2006年から40人近い証言者を訪ねて取材をされたわけだが、ここで語ってくださった方々はほとんど当時まだ十代の若者で、組織では“下っ端”。
本当に重大なヒミツを握っていた人々は、すでに他界されているが、重職に在った方々も戦犯として裁かれることなく、平和でシアワセな戦後を過ごされたケースが多いようだ。また、終戦後も特殊な任務で米軍に協力していた方もおられたらしい。
ラスト近くで、一人の証言者が「沖縄と同じことが本土でも起こり得た」と語った内容が衝撃的。
終戦間際、本土決戦を視野に入れ、巨大な地下壕を突貫工事で掘削(強制連行した朝鮮人労働者によって?)。内部には天皇の玉座を含む、軍部の最高指導者らの避難場所を確保していたらしい。敵軍が上陸してきたら、要人だけがそこに籠って、生物兵器?を空中散布して敵を壊滅させるという作戦だったそう。もちろん一般国民は巻き添え。
戦争ってつまりそういうことで、「国のため」は大義名分に過ぎず、自国民すら守る気はないのが権力。力を握っている側の利益になることだけが優先される。
今、特別秘密保護法をごり押しで通し、次なるターゲットは“改憲”だとささやかれている。
憲法9条。
本作品中でも、証言者の一人が「憲法を大切にしなければ」と発言する部分があったが、いま、本当に憲法そのものの存在が危ぶまれる局面にある。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
いま、このくにに生きる者の責務として、この憲法をなんとしても守らなければ。
参考サイト
・登戸研究所保存の会
・明治大学平和教育登戸研究所資料館
・【登戸研究所の思い出☆目次☆】
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