『小さいおうち』
まもなく映画が封切られるので(1月25日~)、何かと話題になっている作品。昭和初期の東京を舞台に、次第に戦争の影響が色濃くなる中で、そこそこ裕福な新婚家庭に、女中奉公に入った女性の回想録として綴られていく物語。
東北から奉公に出てきて出会った、若く美しい“奥様”に心酔し、一心に仕える“妹のような年頃の女中さん”、の目から見た、華やかな都会の暮らしと、戦時色を強めていく時代の流れ。そしてビミョーに波乱を予感させる恋愛沙汰めいたエピソードと、意外な結末。
話題作なので詳しい内容には触れないが、とても面白く楽しめる作品だった。
『小さいおうち』
中島京子 著
文芸春秋社 刊(文春文庫)
2012年12月 初版1刷 発行
第143回(2010年)直木三十五賞
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作品としては、最終章の意外性が面白いのだが、極にゃみ的に一番心に残ったのは、巻末の対談。
著者の中島京子さんと、大正から昭和にかけての農村や東京の暮らしをノンフィクション作品でえがく船曳由美さんが語っておられる。
以下、部分的に抜粋。
中島 私の祖母も戦時中をふりかえって、宝石の供出とか、文化的な催しがなくなっていったことへのいらだちをふっと口に出すことがありました。政治的な思想があるような人ではなかったのですが、自由学園で絵を学んでいたようなハイカラなおばあさんで。私が大学生だった八〇年代、景気が右肩上がりでどんどんよくなっていきそうだった時代に、「ちょっと嫌だわね、戦前みたいで」と言ったんです。
船曳 まあ!
中島 私にとって戦前は、軍靴の音が響いてくるイメージしかありませんでしたし、バブルのお祭り騒ぎの気配とはギャップがありました。だから「おばあちゃんは何を言っているんだ」としか思わなくて。どうしてそんなことを言ったのか、きちんと聞かないうちに祖母は亡くなってしまいました。そのことも、この小説を書いた遠いきっかけになっています。そして戦前について調べはじめたら、明治以降に取り入れた西洋文化が成熟した時代だったんだとわかったんですね。
船曳 粋な時代だったんですよ。橋本夢道という自由律の俳人が、戦前の銀座に甘いものの店、月ヶ瀬を出したんですけれども、その宣伝文句が「蜜豆をギリシャの神は知らざりき」っていうものです。すてきでしょう。私は銀座に行くたびにこの句を思い出すんです。
中島 いかにもその頃の銀座っぽいですね。今の感覚で見てもおしゃれだと感じるものがすごくたくさんあった。と、同時に、どうしてあんなことになっちゃったんだろうと思ってしまって。
船曳 本当に怖いですね。
中島 怖いんです。学校の歴史で習ったときは、自分たちとはちがう「戦争の時代の人」がいたんだと思ったんですよ。でも、調べていくうちに、みんな私たちと同じように楽しく暮らしていたのに、いつのまにか戦争に向かっていったんだとわかりました。今の私たちも、いつでもああなる危険性があるんだと。
ね、怖いでしょう。
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