« PEAKS 2014年2月号 No.51 | トップページ | 「トワイライトバー451」@摩耶山虹の駅 »

映画『ハンナ・アーレント』

「考えることで人間は強くなる」という哲学を自ら貫き通したハンナ・アーレントをPhoto描いた実話に基づく作品。主演女優のバルバラ・スコバが超カッコいい。たばこ吸い過ぎだけど。

主人公はドイツに生まれ、ナチスの迫害によって収容所に囚われながらも脱出、アメリカに移住したドイツ系ユダヤ人の哲学者・政治学者。
ホロコーストの中心人物であったアイヒマンがアルゼンチン潜伏中にイスラエルの諜報機関モサドに逮捕され、1961年4月からエルサレムで公開裁判が行われたが、アーレントはその裁判を傍聴し、レポートを「ザ・ニューヨーカー」に5回に分けて連載。
「悪とは何か」について深く考えさせられる作品。

映画『ハンナ・アーレント』公式サイト
神戸ではシネ・リーブル神戸にて上映中。1月24日まで。

アイヒマンは検察の尋問に対して「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意志は介在しない。命令に従っただけ」と述べた。
「ごく普通の小心者で、とるに足らない役人に過ぎなかった」
「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです。そんな人には動機もなく、信念も邪推も悪魔的な意図もない」。

自発的に行動したのではなく命令に従っただけ。自分の意思を持たず、善悪を考えないでしたこと。その結果が引き起こした人類史上最悪とも言える大虐殺。では、その責任は?理不尽にも生を奪われた多くの命は?

ところで、今を生きる我々はアイヒマンと同質の悪、でないと言えるか? 
国で、地方で、何らかの組織で、その構成員として「動機も信念も邪推も悪魔的な意図もない」平凡で一見善良な“多くの市井の人々”が、“右へ倣え”で何気なく行う選択が、取り返しのつかない結果を招いていないか?

憲法改正、TPP、秘密保護法。この国の未来を左右する重要なことが決められようとしている今、それらについて知ろうとしないこと、きちんとした判断をしないこと、何もしないこと、雰囲気に流されてしまうこと…は「平凡で凡庸な悪」なのではないか?


「アイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となった。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」

ハンナ・アーレント著『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』から
「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ」

「君が大量虐殺の道具となったのはひとえに君の逆境のためだったと仮定してみよう。その場合にもなお、大量虐殺の政策を遂行し、それ故積極的に支持したという事実は変わらない。というのは、政治というのは子供の遊び場ではないからだ。政治においては服従と支持とは同じものなのだ。そしてまさに、ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒む──あたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのように──政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何ものからも、君とともにこの地球上に生きたいと願うことは期待し得ないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である」

|

« PEAKS 2014年2月号 No.51 | トップページ | 「トワイライトバー451」@摩耶山虹の駅 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« PEAKS 2014年2月号 No.51 | トップページ | 「トワイライトバー451」@摩耶山虹の駅 »