『成長から成熟へ さよなら経済大国』
1933年生まれ、博報堂を経て、雑誌「広告批評」を創刊、編集長を長く務めてこられた天野祐吉さん。昨年10月に他界されたので、これが遺作ということになるのだろうか。
いま振り返ると、20世紀のあだ花、狂い咲きとも言える「大量消費社会」を支えてきたのが「広告」。その黎明期から、高度成長期を経てバブルの時代へ、その時々のヨノナカの変遷に伴って広告もまた変化してきたわけだが、広告の歴史とともに時代を振り返りつつ、「今、私たちはこれでいいのか」ということを鋭く問いかけている。
プロローグ「世界は歪んでいる」から、ヨノナカの不条理を鋭く指摘。「目が馴らされているだけのことで、どう考えても実際は歪んでいると思えることがいまの世の中、いっぱいあるんじゃないか。と言うより、世の中のほとんどすべてが歪んでいるように、ぼくには思えるのです」と述べておられる。
第一章「計画的廃品化のうらおもて」ではいかに大量消費を煽ってきたのかを解説。工業製品は「ほどほどに寿命がきてくれないと困る」ために、あらかじめ寿命が設定されているそう。
第二章「差異化のいきつく果てに」では、いかに広告戦術が人々の消費行動を誘導してきたかが語られる。第三章「生活大国ってどこですか」では、「広告批評」の創刊から、広告というものそのものに関する考察。政府による意見広告、原発を容認させるためのプロパガンダなどについても語られる。
広告を切り口にしてはいるが、これからのために、今考えるべき内容のヒントが目一杯に詰まった良書。ぜひ一読いただきたい一冊。
『成長から成熟へ さよなら経済大国』
天野祐吉 著
集英社新書
2013年11月20日 初版第1刷発行
極にゃみ的抜粋を少々。
「それにしても、『成長は善である』とはなんたる言い草か。私の子供たちが成長するのなら至極結構であろうが、この私がいま突然、成長しはじめようものなら、それはもう悲劇である。」 E・F・シューマッハー氏
P178
シューマッハーさんが、早い時期から熱心に提唱してきたのは、「身の丈サイズのテクノロジー」です。二十世紀のテクノロジーは、ひたすら巨大化し、複雑化し、資本集約化し、そしてあらゆる意味で暴力化してきた。人間の身の丈をこえて御しきれない化け物になってしまったそんなテクノロジーを、もう一度、人間の身の丈に合ったものにできないものか。私たちがいま持っている知識と技術を活用すれば、とことん単純化されたテクノロジーと、ごくわずかな初期資本と、ごく平凡な人たちの手で、生命にあふれた生産活動ができるはずだというのが、シューマッハーさんの主張であり、またそのためのさまざまな実験を行ってもきたのでした。
P181
「この有限な惑星でかぎりなき成長がいつまでも続くと信じているのは、単なる馬鹿とエセエコノミストだけだ。が、困ったことにいまは、エセエコノミストと馬鹿ばかりの世の中になっている」
さらにラトゥーシュさんはこうも言っています。
「もし幸福が消費の度合いで決まるものなら、われわれはすでに十分幸福なはずです。マルクスの時代にくらべて二六倍も消費しているのですから。しかし、人々がその頃よりも二六倍幸福だと感じていることを示す調査結果は皆無です」
「脱成長のエッセンスは一言で言い表せます。『減らす』です。ゴミを減らす。環境に残す我々の影響を減らす。過剰生産を減らす。過剰消費を減らす」
あとがき
いびつにふくれあがった二〇世紀文明が、あちこちに歪みが生まれて、ボロボロに壊れてきました。
どういうふうに歪み、どういうふうに壊れてきたか。これは六〇年間、広告という窓から世の中をのぞいてきたぼくの私的な日記みたいなものです。
学者でも研究者でもないぼくには、あまり確かなことは言えませんが、いまはもう経済成長なんかにしがみついているときじゃない。原発の輸出で食いつなごうなんてことじゃなく、文明の書き換え作業にしっかり取りかかるときなんじゃないでしょうか。
そう、引っ越しです。引っ越し先は、言うまでもありません。経済力や軍事力で競い合うような国じゃない。文化力を大切にする「別品」の国です。
※「別品」
最終章で、三〇年ほど前に哲学者の久野収氏に聞いた話、として、
昔、中国の皇帝が、画家や陶芸家の作品を専門スタッフと格付けして、最も良いものを「一品」と呼んだが、一品、二品、などの審査から外れたものの、個性的で優れたものを「別品」とした。美人を指す言葉として「別嬪」という表現はこれに由来しており、本来は正統派の美人に対して、個性的な魅力を持つ人を指したものだそう。非主流ではあるが、時を経るとどちらが一位であるかわからないような状況が生じる可能性がある存在。
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コメント
与えられた民主主義、自由主義を謳歌するべく
もっともっと…と
買って買って…と
本当に欲望の60年。とってもピンポンなサブタイトル
広告…その対象の如何に限らず
ひたすら売るためのキャッチコピーを生み続ける作業。
まあ、文化人のお勧め…平和ボケしたお花畑の赤ずきんちゃんには刺激的なお誘いでしょう
みんな、みーんな、一連托翔。
足並みそろえて大型消費大国への階段をかいかいだんだん!
投稿: オバカッチョ | 2014年2月20日 (木) 16:22
本書の中で、天野氏は
右肩上がりの成長がいつまでも続くと信じているのは
「単なる馬鹿かエセエコノミスト」という言説を引き、
脱成長のエッセンスは「減らす」だと指摘しています。
『里山資本主義』についても触れておられたのが印象的でした。
投稿: にゃみ。 | 2014年2月20日 (木) 22:37
また、福島で汚染水漏れがありましたよね。
あのメルトダウンした原子炉は、どうなっていくのか。
誰にもわからない…
ここからは妄想ですが…
溶けだしたウランが暴走し地下深く地球のマントルに到達。マグマと接触する中で世界中の火山を刺激して各地で
大爆発。その火山灰に覆われ地球は太陽のエネルギーを遮断され突然の氷河期に突入!
とかとか…
まあ、三文SF小説みたいな話だけど誰でも妄想できちゃう。
地球の中身は一つですから…すべてにつながっている。
1994年1月17日アメリカノースリッジ地震も
1995年1月17日阪神淡路大震災も太平洋をぐるりと一回り
もう、このリンクは満身創痍の地球が体を張って“警告”しているようにしか受け取れない。
そして…過の3.11東日本大震災
強制終了するかのように物を…人を…奪い去って行った。
本当に奇跡なのかもしれない…こうやって生きて生活していられることが。
投稿: オバカッチョ | 2014年2月21日 (金) 15:00
本当に…
欲望に火をつけて煽りまくった高度成長期に
環境を破壊し、制御のしようもない核に手を出し…
度重なる地震も、ハリケーンやゲリラ豪雨も、
「ただの自然現象」とは考えられないほどの猛威です。
メルトダウンした核燃料が地殻を貫き、
地球の反対側まで行ってしまうという
「チャイナシンドローム」ってお話がありましたね。
もはやどんな想像も、「妄想」ではないかも。
投稿: にゃみ。 | 2014年2月21日 (金) 15:23