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『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム』

ここのところ、この国はかなり不穏だ。
Henmi_ima311から? いや、顕在化したのは311後の「タダチニエイキョウハアリマセン」からかもしれないけれど、本当のところはもっと前から、不穏な気配がじわじわと、よくわからないうちに国民の生活の中に浸み込んでいたのだ、きっと。

昨年秋、「特別秘密保護法案」が異様な経過で成立した。
仮にも、民主主義国家でそんなことがあっていいのか?と戦慄したけれど、ヨノナカではそれ以降もそしらぬ顔で粛々と日々が流れて行っている。
なにかがおかしい。不穏だ。

そんな漠然と形の見えない不穏な気配を、「言葉」に紡いで吐き出してくれたのが、辺見庸氏。
帯に、
  語ろうとして語りえない
  「虚の風景」を至当の言葉で
  撃ちつらぬく、覚悟の書。
とある。病身に鞭打っての覚悟の書、なのである。
この本を読んで、いろんなことが腑に落ちた。漠然と「何かがおかしい」と思っている方にはぜひ一読いただきたい名著。

『いま語りえぬことのために―死刑と新しいファシズム』
辺見庸 著
毎日新聞社 刊
2013年11月 初版発行

*辺見庸公式ウェブサイト…Yo Hemmi Weblog

文中に何度か出てくるフレーズ、「よく注意しなさい! これは歴史的瞬間ですよ」
このセリフを叫んだのは、『ハンナ・アーレント』の母である。

以下、極にゃみ的抜粋…
P90
 2013年のいま、歴史の大転換が、まったく大転換ではないかのように、当然のように進んでいます。現在はたとえば、オーウェルの『1984年』にでてくる奇怪な社会と相通じる現象が、少しも奇怪とはされずに横行しています。

P47 「死刑と新しいファシズム」
私たちはこのところ、毎日毎日、福島の原発もそうですけれども、歴史的な出来事を経験させられております。あまりにも大きく重い出来事が連続しているために、一つのことを落ち着いて掘りさげることができない。集中して考えることができない。そうするうちにも次から次へと時がたっていく。時が、現在の時をあとの時が塗りつぶし、あるいは過去の時をいまの時が塗りつぶすようにして、つまり出来事の記憶と意味を抹消、削除しながら、時というのは進んでいく。ということを私は非常に苦しく感じております。そして、「これはなんなのだ?」と自問してしまうのです。

P79
 みなさんはいかがですか、最近、ときどき、鳥肌が立つようなことはないでしょうか?  総毛立つということがないでしょうか。いま、歴史がガラガラと音をたてて崩れていると感じることはないでしょうか。ぼくは鳥肌が立ちます。このところ毎日が、毎日の時々刻々、一刻一刻が、「歴史的な瞬間」だと感じることがあります。かつてはありえなかった、ありえようもなかったことが、いま、普通の風景として、われわれの眼前に立ち上がってきている。ごく普通にすーっと、そら恐ろしい歴史的風景が立ちあらわれる。しかし、日常の風景には切れ目や境目がない。何気なく歴史が、流砂のように移りかわり転換してゆく。だが、大変なことが立ち上がっているという実感をわれわれはもたず、もたされていない。つまり、「よく注意しなさい! これは歴史的瞬間ですよ」と叫ぶ人間がどこにもいないか、いてもごくごく少ない。しかし、思えば、毎日の一刻一刻が歴史的な瞬間ではありませんか。東京電力福島原発の汚染水拡大はいま現在も世界史的瞬間を刻んでいます。しかし、われわれは未曾有の歴史的な瞬間に見あう日常を送ってはいません。未曾有の歴史的な瞬間に見あう内省をしてはいません。3.11は、私がそのときに予感したとおり、深刻に、痛烈に反省されはしなかった。人の世のありようを根本から考え直してみるきっかけにはなりえていない。生きるに値する、存在するに値する社会とはなにかについて、立ち止まって考えをめぐらす契機にはかならずしもなりえていない。私たちはもう痛さを忘れている。歴史の流砂の上で、それと知らず、人びとは浮かれはじめている。

P94
 耐えがたい局面はすでにおとずれています。結局は、どのみち戦端を開かざるをえない。戦端を開くのは個人です。個であると思うんです。個としていわば一歩も引かずに、不正義を睨む。暴力をふるえというのではないのです。でも睨みつける。絶対に引かない睨みつけかたというものがあるにちがいないのです。「注意しなさい。これが歴史的瞬間ですよ!」という声がいま必要です。にもかかわらず、「これが歴史的瞬間ですよ!」という人間がいないだけではなく、歴史が崩壊している、転覆されているという実感が何者かに奪われている。総毛立ったり、鳥肌がたつ、ということにさえ、どこかわれわれは慣れてきはじめている。一番恐いのはそれだと思うのです。歴史の崩壊だけではなく、われわれの内面が崩れはじめているのではないでしょうか。

P120
死刑が「確定」するという法的プロセスは、人間存在を前提とするあらゆる法に照らしても無効であり、ぜったいに無効であるべきです。「個」が「個」として生きてあることの目的、意味、意義の消滅、わからなさが、苦悩なき空無が、私はファシズムだと思うのです。
(中略)
 きょうお集まりのたくさんのみなさん、「ひとり」でいましょう。みんなといても「ひとり」を意識しましょう。「ひとり」でやれることをやる。じっとイヤな奴を睨む。おかしな指示には従わない。結局それしかないのです。われわれはひとりひとり例外になる。孤立する。例外でありつづけ、悩み、敗北を覚悟して戦いつづけること。これが、じつは深い自由だと私は思わざるをえません。
(中略)
いま、語ることは語ることの無意味と戦うことです。怒りは怒りの空虚に耐えることです。お遊戯の指で、ほんものの時はかぞえられません。地上のその明るさで、地中の闇をはかることはできない、と言います。死刑制度と死刑囚についてもっともっと思いをめぐらしましょう。

P285 「語りえない影絵のなかへ―後書きにかえて」
 朦朧としたことどもをさも鮮明に映し、明晰に語ること。澄明で流ちょうな嘘の洪水に、わたしたちの目と耳と舌とはもう疲れている。だからであろう、テレビを消し、新聞をやめ、インターネットを遮断するのがわたしの周りではやりはじめている。

参考サイト
★神奈川新聞【時流自流】あらかじめファシズムの国
 作家・辺見庸さん「現在は戦時」

★死刑廃止国際条約の批准を求める
 FORUM90 Vol.131 辺見庸「死刑と新しいファシズム」※PDF

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コメント

若いころは“人道的”に死刑制度反対だったけど
ある事件をきっかけに被害者家族の心情や社会的権利の迫害などを聞くにつけ短絡的に反対賛成など叫べなくなる。

一つ一つの事案にそれぞれ思いの(重い)十字架がかけられていて…知れば知るほどぬかるみにはまる。

悪人のほうが好きという性癖から死刑制度反対を声高に叫ぶより、弱々しく必死で立ちすくんで耐え続けている善人(被害者家族)のそばに寄り添っていたいと願う。


投稿: オバカッチョ | 2014年2月13日 (木) 12:27

死刑制度の是非については、
ホントにいろんな観点があって、
とても短絡的に考えることはできないですね。

犯罪と、その被害者と、加害者。
犯してしまった罪というものをどう償うのか、

一個人としての倫理観とは関係なく、
国家というものが、
それをどう扱うのか、

考えれば考えるほど、わからなくなります。

投稿: にゃみ。 | 2014年2月13日 (木) 17:58

>われわれは未曾有の歴史的な瞬間に見あう日常を送ってはいません。
内省、反省どころか、ウソや体裁で固めてやり過ごす日常…ウソも100回つくと本当にしてしまう…

>未曾有の歴史的な瞬間に見あう内省をしてはいません。
あの豊かだった福島の海に今も原因が分からず汚染水が流れ続けている…
“われわれは完全にコントロールしている!!”だと

彼らの心は本当に痛まないのか

投稿: オバカッチョ | 2014年2月18日 (火) 15:02

「アンダーコントロール」と言ったひと、
言わせたひと、そう思わせたい人々、
今起こっている深刻な事態を隠したい人々、

彼らの心は全く痛んでないのだと思います。

逡巡する心があれば、なすべきことがあるはず。

投稿: にゃみ。 | 2014年2月18日 (火) 23:12

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