『街場の憂国論』
ウチダ先生が、2011年~2013年にブログや新聞・雑誌などに発表された「主に国家や政治などにかかわるエッセイをエディットしてもらったコンピレーション本」。グローバル資本主義によって、国民国家が粛々と崩壊へと向かっていることを“憂いた”一冊。いろんなコトが腑に落ちた。読んでよかった、お勧め本です。
『街場の憂国論』(犀の教室 Liberal Arts Lab)
内田 樹 著
晶文社 刊
2013年10月 初版発行
★「BOOK」データベースより
行き過ぎた市場原理主義、国民を過酷な競争に駆り立てるグローバル化の波、排外的なナショナリストたちの跋扈、改憲派の危険な動き…未曾有の国難に対し、わたしたちはどう処すべきなのか?日本が直面する危機に、誰も言えなかった天下の暴論でお答えします。真に日本の未来を憂うウチダ先生が説く、国を揺るがす危機への備え方。
極にゃみ的抜粋…
P27
私たちの国で今行われていることは、つづめていえば「日本の国富を各国(特に米国)の超富裕層の個人資産へ移し替えるプロセス」なのである。
P068
雇用形態はうかつに多様化するものではない。結果的に労働者が手に入れたのは「働き方の自由」ではなく、「同一労働・最低賃金」のルールだったからである。
P140
「成熟した消費者」とは、パーソナルな、あるいはローカルな基準にもとづいて商品を選好するので、消費動向の予測が立たない消費者のことである。
同じクオリティの商品であっても、「国民経済的観点」から「雇用拡大に資する」とか「業界を下支えできる」と思えば、割高でも国産品を買う。あるいは貿易収支上のバランスを考えて割高でも外国製品を買う。そういう複雑な消費行動をとるのが「成熟した消費者」である。
「成熟した消費者」は、その消費行動によって、自国の産業構造が崩れたり、通貨の信用が下落したり高騰したり、株価が乱高下したり「しないように」ふるまう。
資本主義は「勝つもの」がいれば、「負けるもの」がいるゼロサムゲームである。
この勝ち負けの振れ幅が大きいほど「どかんと儲かる」チャンスも「奈落に落ち込む」リスクも増える。
シーソーと同じである。ある一点に荷重をかければ、反対側は跳ね上がる。だからどこでもいいのである。ある一点に金が集まるように仕向ける。
(中略)
だから、資本主義は消費者の成熟を好まない。
同じ品質なら、一番安いものを買うという消費者ばかりであれば、サプライサイドは「コストカット」以外何も考えなくて済む。
(中略)
「消費行動がパーソナル」というだけで「神秘的な人」に見えるくらい、アメリカの消費者は単純な行動を社会的に強要されている。
(中略)
TPPというスキームは前にも書いたとおり、ある種のイデオロギーを伏流させている。それは「すべての人間は一円でも安いものを買おうとする(安いものが買えるなら、自国の産業が滅びても構わないと思っている)」という人間観である。かっこの中は表立っては言われないけれど、そういうことである。
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