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『歩く旅の本 伊勢→熊野』

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路1,000kmを歩いて、歩き旅に目覚めた著者が、Aruku_ise_kumano伊勢から熊野まで200㎞を歩いた旅エッセイ。女鬼峠の地名がコワいとビビり、峠道がなんだか暗くてコワいとビビり、暑さに耐えかねて飛び込んだ喫茶店ではジモティの洗礼に遭い…
ミラクルなご縁に巡り合ったり、もう“呼ばれてる”感ハンパない旅日記。
伊勢路はまだほとんど歩いてないので、冬になったら行きたいなぁ。
何かの取材で行けないかしらん。なんぼでも歩きますよー!


『歩く旅の本 伊勢→熊野』
福元ひろこ 著
東洋出版 刊
2013年4月 初版発行

★『歩く旅の本 伊勢→熊野』特設サイト…ココ!

極にゃみ的引用を少々。

■ちょっと感じの悪いお宿のおばさん。でも最終的には親切にしてもらった体験から…

やはり相手がどんな人だろうと、どんな態度をとってこようと、たとえ私を嫌おうと、それには関係なく、自分の態度を「選ぶ」ことが大切だ。相手や環境、状況に関係なく、自分の態度、心もちを選択する。反応するのではなく、選択する。そうすると、うまくすれば今回のように相手の態度が変わることもあるし、少なくとも自分は悪い気分に染められずにすむ。

■大丹倉の神秘的な自然に触れて…P168

 私は大学生の頃、開発経済学のフィールドワークでタイの農村にホームステイをしたことがある。
そこでは怪我をしたりお腹が痛くなったら山に薬草を採りに行き、お腹がすいたら木苺をつんでおやつにし、山を走り回って過ごした。電気がないから朝は日の出とともに起き、暗くなったら眠る。
日中は畑仕事や機織り、シャワーは雨水。そんなふうに村人と同じ暮らしをしながっら2週間滞在した。お金は1バーツも使わなかった。都会の生活しか知らなかった私にとって、2週間過ごしてお金を一銭も使わないというのは衝撃だった。そして滞在最後の日、大学の先輩がとても印象的なことを言った。「山は、薬局であり、スーパーマーケットであり、公園であり、私たちの生活のすべてである。山は私たちに必要なものをすべて、与えてくれる」
現実としていまの社会では完全にお金と離れて暮らすことは難しい。しかし本当はお金がなくても暮らすことはできるのだと思う。必要なものは、すべて自然が与えてくれる。いや、いまだって、お金が介在しているからわかりにくくなっているだけで、本当はすべてのもの―食べ物にしても、石油にしても、金属にしても―は、元はすべて自然の恵みであり、私たちは自然の恩恵を受けて生活をしている。だから本当に、私たちはもっと、自然を大切にしないといけない。
 そのときにやはり、歩くこととか、自然の中で遊ぶことはとても意味があることだと思う。というのは都会に住んでいると、「自然を大切にと言っても、正直ピンとこない。でもこういう場所で、本当に美しい自然に癒され、自然で遊ばせてもらっていると、「この美しい川を洗剤で汚してはいけない」と、すごくリアルにイメージできる。思うに、いまは食べものにしても何にしても、つくる人(生産の現場)と、使う人(消費者)が離れすぎてしまっている気がする。それにより、自分の行動がどんな影響を与えているのか想像できなくなり(もちろん頭では想像できるが、そこには実感が伴っていない)、よくない循環が起きているように思える。そう考えると、これからは「離れる」の逆、つまり「つながり」がますます重要になるのかもしれない。そんな「つながり」が大切になるであろう時代に、自分と自分自身とをつなぎ、自分と地域とをつなぎ、自分と人とをつなぎ、自分と自然をつなぐ、「歩く旅」はすごくおすすめだと思った。

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