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DAYS JAPAN vol.11 No.9 2014 SEP

DAYS JAPAN 9月号が届いた。巻頭は「惨劇のガザ」と題し、Dsc05420フォトジャーナリスト古居みずえ氏による緊急現地報告。7月はじめに始まった、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への無差別攻撃。8月6日現在で、犠牲者の総数は1875人。そのほとんどが民間人で、うち子どもの犠牲者は430人にも上る。

本文から抜粋
「2009年のイスラエルの攻撃のときには1400人が死亡し、子どもは300人だった。09年、国連の調査委員会は600ページもの調査報告書を作成した。しかし、民間人を多数犠牲にしたことへの責任は誰もとっていない。あのときに、国際社会が責任を追及していたら、今回のことは起こらなかったかもしれない。歯止めが効かないこの事態をどう打開できるのか、あるいは、それができずに、再び同じようなことが繰り返されることを許すのか。今、国際社会は問われている。」

メインの特集は「フォトジャーナリスト 広河隆一 パレスチナ取材47年」。
表紙の写真は、広河氏が2009年にガザで撮影したもの。学校に行っている時爆撃に遭い、他人の身体の一部が落ちてきて、そのショックで口がきけなくなった女の子。なぜ罪もない幼い子どもたちが犠牲にならねばならないのか。

大手メディアが報じようとしない、世界で起こっているいろんなことをきちんと伝えてくれる誠実なメディア。写真の力が、とても強いことがわかる素晴らしい雑誌だと思う。
「一枚の写真が国家を動かすこともある」 …ぜひ定期購読を。

ちなみに、「マスメディア」は広告と切り離しては存在しえず、つまり大手資本の意思が少なからず介入しているということ。もっと悪いことに、今のNHKは完全に御用放送局。これらの報道を鵜呑みにすることなど到底できない。都合の悪いことは隠して報じない。ウソは言わないまでも、意図的に事実を捻じ曲げたり、ニュアンスを変えたりはお手の物。地方紙の良心は信じたいと思っているけれど…

DAYS JAPAN 公式サイト

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広河氏「私は自分の職業にフォトジャーナリストを選んでよかったと思う」
「私が写真を始めたのは、世の中を見るための道具として選んだようなものだ。しかし、私は自分が写真家だと意識したことはなく、あくまでもジャーナリストだと考えている。ジャーナリストだからこそ、国家や軍や政府が隠したいと思っている場所にも入る権利があり、大統領にも対等に対する権利があると考えてきた。
 撮影した対象やフィルムを守るためには、それらと対峙しなければならない。それは、ジャーナリストの義務でもあり、権利でもある。そしてそれは、何が本当に起っているのかを知るという人々の権利と重なっている。」

人々の「知る権利」を守ること(P24)
「これを戦争と呼べというのか。これは殺戮ではないか?」。私の戦場との出会いはこのような自問で始まった。現代の戦争はほとんどの場合、圧倒的な火力を誇る「攻撃する側」とほとんど無力な「攻撃される側」の対立となる。
 言い換えれば爆弾を落とす側と、落とされる側、ということになる。こうした場合、加害者は必ず被害を隠す。だからこそ必要とされるのがジャーナリストである。ジャーナリストは人々の「知る権利」に基づいて仕事をする。人々が「知る権利」を持っているのは、すべての人間に「生存の権利」、さらに言えば健康に幸せに生きる権利が備わっているからである。そうした人々の委託を受けてジャーナリストは仕事をする。A社とかN協会というメディアの一員だから、「知る権利」を行使するのではなく、人々の「生きる権利」に基づく「知る権利」に背中を押されて、ジャーナリストは任務を果たす。この基本的なことを理解しないまま、自分が人々に対する特権を持っているように錯覚するメディアの人間が何と多いことか。
 このDAYS JAPANは、人々の「生きる権利」に基づく「知る権利」を、代わりに行使することを委託される仕事、つまり、ジャーナリストの仕事をしてきたと考えている。力は及ばなかったことが多いが、次代の継承者にゆだねたい。

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2003年に始まったイラク戦争。広河氏はこう書く。
 2003年3月に始まったイラク戦争では、ジャーナリストの立場が明確に試された。それはジャーナリストのアイデンティティというものが何かということが突きつけられたと言える。典型的なのは、アメリカの大手メディアだった。「自分はジャーナリストである前にアメリカ人だ」と発言し、アメリカの国益に沿った報道をおこなうことに何の疑問も抱いていなかった。米軍は従軍取材をおこない、日本を含む各国の記者の中には、まるで米軍の所属メディアのように振る舞い、報告する者が増えた。こうしたメディアの危機感の中で、開戦の翌年にDAYS JAPANが誕生することになったのだ。」
「支配者あるいは戦勝者は、自分たちに都合の悪い記録を消してしまう。日本はこの戦争にアメリカの要請によって加担した。被害者に対しては責任があるのだ。
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米軍によるアフガニスタン爆撃もまた、大義なき殺戮だった。アメリカの攻撃によって殺されたのはタリバンかアルカイダしかいないかのような報道が行われたが、実際には多くの一般市民が殺された。米軍には「付随的被害」という言葉があり、一人のターゲットを殺すためなら、周辺の数十人が巻き添えになっても仕方がないという考え方があったという。しかも、「誤爆」は実際には確信犯であり、無辜の人々が命を奪われた。
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チェルノブイリ事故について。
P35より
 カメラに力がないわけではない。ただ、それだけではだめだと知った。
 チェルノブイリ事故の取材を開始したとき、放射能がこれほど手に負えないものだとは思っていなかった。人間の英知がすべての悲劇を克服すると信じていた。
 しかし、それはチェルノブイリ事故から28年目の今では、愚かな考えだったことを思い知らされている。原子力を利権で守ろうとした専門家たちに、私たちの子どもたちの生殺与奪の権利を譲り渡してしまった罪の大きさに、唖然とする。
 チェルノブイリ事故から3年目に、私は現地入りし、多くのことが隠されているのを見た。病気があらゆる場所で牙をむき出していた。このとき、すでにベラルーシやウクライナでは、小児甲状腺がんはじめ、あらゆる病気の多発を訴え、助けを求めていた医師や市民がいた。しかし、日本の重松逸造氏はじめ、IAEAやICRPなどの国際的な「知見」と呼ばれる人間たちがそれを踏みつぶした。
そして翌4年目には、手を付けられないほどの小児甲状腺がんの多発が起こるのだった。それをも「知見」は無視した。人々の叫びを、「非科学的」と一蹴した。このころ私たちは救援運動を開始したが、あまりに非力だった。
 やがて、彼らが嘘に嘘を上塗りしていたことが、すべて剥がれる瞬間が来る。
 この分岐点が3年目から4年目だった。
 そして今日本も、あと半年でその4年目を迎える。

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コメント

古居みずえさんは出雲高校の後輩です。
2011年9月3日から彼女の監督・撮影の映画「ぼくたちは見た–ガザ・サネニ家の子どもたち–」が大阪の第七藝術劇場で上映され、当日見に行って舞台挨拶を聞き、話をして帰ったことがあります。
殆ど戦地で活動して居られます。
この本を見かけたら買いたいと思います。

投稿: tan | 2014年8月28日 (木) 00:00

映画も観たかった…
今はもう自主上映を企画するしかなさそうですね。

DAYS JAPANは書店にはないかも…

投稿: にゃみ。 | 2014年8月28日 (木) 07:03

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