『「里」という思想 』
極にゃみ的には、ここ数年「ローカル」ということにこだわりを感じている。漠然と「ローカル性」というものが大事だという感覚を持っていたのだが、この本に出会って、ものすごくいろんなことが“腑に落ちた”。そう、言葉にできなかったけれど、感じていたことはこういうことだったんだ、と。
マネー資本主義も、グローバリズムももういらない。もっと自然に寄り添った、もっと感性を大事にした暮らしを目指したい。ひとは、土から離れて生きてはいけない。
「ローカルであること」が、グローバリズムを超える道。
いろいろな気づきを与えてくれる、とてもよい本だと思う。ぜひご一読いただきたい。
■選書本裏表紙より
グローバル化された社会へ警鐘を鳴らす、未来へ向けた哲学的論考。
世界を席巻したグローバリズムは、「ローカルであること」を次々に解体していった。 たどりついた世界の中で、人は実体のある幸福を感じにくくなってきた。 競争、発展、開発、科学や技術の進歩、合理的な認識と判断―私たちは今「近代」的なものに取り囲まれて暮らしている。 本当に必要なものは手ごたえのある幸福感。 そのために、人は「ローカルであること」を見直す必要があるのだ。
『「里」という思想 』
内山節 著
新潮社 刊
2005年9月 初版発行
極にゃみ的に気になった部分を抜粋。
近代化されていく世界が生みだした思想は、この点でとらえ方を間違えた。
近代的な発想は、グローバルな発想や思想、システムに価値があり、ローカル性に基盤をおいたものを、あたかも古い時代のものであるかのごとく軽視したのである。その結果が、浅い知識だけで生きる人間の頽廃を生んでいる、と最近になって気づくようになるまで。だから、私も、いまでははっきり言うことができる。人間は少なくとも一方に、ローカルな世界をとり戻さなければいけない、と。
(「深淵」から)
そして、労働から利益をこえた価値が失われたとき、私たちの前にあらわれてきたものは、利益のためには何でもする経済社会の頽廃であり、労働をとおして社会に貢献しているという働く者の誇りの喪失だった。
(「家業」から)
ところが、西洋の人間主義は、人間に万物の支配者たる絶対的な地位を与えてしまった。その結果、人間の進歩にとって不都合な自然が破壊されたばかりでなく、人間の知性を絶対視するあまり、人々は知性をとおしてしか他者と交わることができなくなった。それが、自然との深い交渉を不可能にさせ、人間の自然性を衰弱させていったのである。
現代文明のなかでは、人間の自然性は再生されない。人間が自然とつき合わなくなったことだけにその原因があるのではなく、人間の知性に絶対性を与えてしまったこと自体が、知性とは別の回路で自然を感じとり、読みとることを、できなくさせてしまった。
(「離見の見」から)
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コメント
「労働をとおして社会に貢献しているという働く者の誇りの喪失」
う〜ん、ここがグサリときますね。
「本当に必要なものは手ごたえのある幸福感」
ここも強く求めていきたいこと。
投稿: Fukuzo | 2014年8月 8日 (金) 13:41
なんだか、産業革命から先の人類は、
ちょっと道を間違えてるんですよね、きっと。
人間も自然の一部だってことを忘れてしまって…
いい方向に軌道修正できればいいな。
投稿: にゃみ。 | 2014年8月 9日 (土) 12:03
およそ2500年前に「老子」曰く…
*小さい国土で、人口が少ないこと。
*最先端の文明の道具や、国家を守るための最新の武器を保有はするが、自ら使うことをしない。
*あえて、原始的な生活をして楽しむ。
*自分の国の食事・衣装・家・習慣を大切にして守ること。
*隣国とは、どんな近距離でも断絶して、一切の交流を禁止する鎖国をすること。
これが老子が奏でる理想的国家のかたち
なんと過激な…しかしみんな仲良くはできないのだから…戦略的に鎖国を取り入れる
条件的に日本はピッたし
だけど
人を育てないと…。
投稿: 同人 オバカッチョ | 2014年8月19日 (火) 14:29
すごい!
「鎖国」はともかく、
それ以外はものすごく、今大事なこと…
いや、大陸のあの国と、この島国の状況を考えれば
ホントにすごいかも…
いろいろ学べるものはたくさんある…
投稿: にゃみ。 | 2014年8月21日 (木) 23:21