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『飛騨の霊峰 位山』と飛騨の匠・都竹峰仙

稲刈合宿居残り山行その2で登った「位山」。山頂付近には多くの磐座がKuraiyama鎮座し、独特の雰囲気を漂わせている山だった。帰ってから少し調べてみたところ、地元の郷土史家、古代史研究家の都竹昭雄氏(故人)が書かれた本『飛騨の霊峰 位山』の存在を知った。地元宝塚市には蔵書がなかったのだが、神戸市の図書館にあったので、借りて読んでみた(台風のおかげで読書が進んだ!)。

『飛騨の霊峰 位山』
都竹昭雄(つづく・あきお) 著
今日の話題社 刊
2003年10月 初版発行 
2009年5月 新版発行


位山は古くから霊山として知られ、和歌にも多く詠まれてきた名山。この山に産するイチイの樹で作った「笏」が朝廷に献上され、天皇即位のときに使用されたという歴史もある。
この山は飛騨の分水嶺であり、“高天原”はココではないかという説もあるのだとか。

信憑性がどうなのかは知らないが「竹内文書」によれば、超古代には日本列島が世界の中心的役割を果たした場所であり、その中でも位山を中心とする一帯は「日玉国」と呼ばれ、当時のスメラミコトの都があったとされているという。これまた信憑性はさておき、「秀真伝(ほつまつたえ)」にも天照皇大神と位山のイチイの笏のことが書かれているそうである。

明治44年に高山の三福寺町で生まれた都竹峰仙氏は、若い頃から不思議な体験をいろいろと重ねてこられたが、昭和29年頃に大龍神のお告げを受けて、ついに位山を開くに至ったというエピソードが綴られている。Dsc09729
巻頭の口絵写真に“心霊写真”?が掲載されててびっくり…左上は高山の警察署の鑑識係の方が撮影した写真で、龍神様の霊体?だそうだ。左下は天の岩戸に出られた御心霊?右は本書の著者、都竹昭雄氏の父で位山を開かれた峰仙氏。

私は霊感はないのでよくわからないのだが、そう言えば位山で写真を撮ろうとすると、なぜかその日に限ってやたらと光が入って…もちろん逆光になる方角にカメラを向けたのが原因なわけだけど、いつになく不思議な写真がたくさん撮れてしまったのだった。Dsc07935
こんなんとか、
Dsc07943
こんなんとか、
Dsc07984
こんなんとか。
そして、コチラがその位山太陽神殿。中にご神体が収められているそう。Dsc07973
なんだかコワいと思った不思議な龍は、峰仙氏作で、神殿前の両脇にある。
Dsc07980
人面というのが違和感満載だけど、古代の人の顔なんだそう。

都竹峰仙氏は、平成11年3月11日に永眠されたのだが、13回忌にあたる2011年の命日に、遺族が手を合わせた直後に東日本大震災が発生。その後の原発事故へとつながっていくわけだが、生前から故人はよく反戦反核を口にしておられたそう。
若い頃に修業に出た東京で、終戦間際の空襲に遭遇。生死の境をさまよう体験をされ、その実体験と広島・長崎の原爆被害に思いをはせて何体かの作品を制作。そのうちの「風神」、「新世阿弥」、「平和の女神」の三体が遺族の元に残っていたが、生誕100年にあたる命日と震災が同じ日に重なったことから、感じるところがあり、ご遺族が日本木彫芸術文化財団に寄贈、そして長崎、広島、国連本部へと贈られた。

★「飛騨の匠が残した平和への祈り 都竹峰仙」…ココ!

高山市内七日町、宮川にかかる「不動橋」のたもとにある御嶽教飛騨教会に鎮座している栃目不動明王は、霊験あらたかなお不動様として今もお詣りの人が絶えないそうだが、これは昭和7年ごろ御嶽教の行者が御嶽山に伺いを立てたところ、丹生川村の奥にある折敷地(おしきじ)にある栃の巨木を用いて峰仙氏に作らせよとの御神示があって作られたものだとか。峰仙氏は子どもの頃から何度も大きな不動明王の姿を夢で見ており、彫刻を始めたばかりであったにも関わらず、迫力のある像を刻むことができたのだそう。
次に高山へ行ったらぜひともお詣りしてみなければ。

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