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『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた』

2012年7月、10月、12月、2013年2月と4回に渡って行われたシンポジウムをDatu_grまとめた一冊。60代の内田樹 氏、平松邦夫 氏、平川克美 氏、50代の小田嶋隆 氏、30代の中島岳志氏、20代のイケダハヤト氏、高木新平氏、という7名がグローバリズムによって危機に陥っている国民国家をどう立て直していくのかという話をされている。

内田氏による「まえがき」より抜粋
今、私たちの時代はグローバリズムの時代です。世界は急速にフラット化し、国民国家のもろもろの「障壁」(国境線、通貨、言語、食文化、生活習慣などなど)が融解し、商品、資本、人間、情報があらゆる「ボーダー」を通り越して、超高速で自由自在に行き来しています。このままグローバル化が進行すれば、遠からず国民国家という旧来の政治単位そのものが「グローバル化への抵抗勢力」として解体されることになるでしょう。国民国家解体の動きはもうだいぶ前から始まっていました。
 医療・教育・行政・司法に対する「改革」の動きがそれです。これらの制度は「国民の生身の生活を守る」ためのものです。怪我をしたり、病気をしたり、老いたり、幼かったり、無知であったり、自分の力では自分を守ることができないほど貧しかったり、非力であったりする人を「デフォルト(初期設定)」として、そのような人たちが自尊感情を持ち、文化的で快適な生活を営めるように気づかうための制度です。ですから、これらの制度は「弱者ベース」で設計されています。当然、それで「儲かる」ということは本質的にありえません。基本「持ち出し」です。効率的であることもないし、生産性も高くない。


スリリングな論の展開に一気読みしてしまった。今この国が抱えているいろいろな問題点について“腑に落ちる”、良書だと思う。ぜひご一読を。

脱グローバル論 日本の未来のつくりかた
著:内田樹 中島岳志 平松邦夫 イケダハヤト 小田嶋隆 高木新平 平川克美
講談社 刊
2013年6月 初版発行

webサイトでも一部読めます。
★第1回 グローバル社会VS. 国民国家のゆくえ その1…ココ!
★第1回 グローバル社会VS. 国民国家のゆくえ その2…ココ!
★第1回 グローバル社会VS. 国民国家のゆくえ その3…ココ!

それから、極にゃみ的抜粋…

上記、「まえがき」の続き。

 でも、この20年ほどの「構造改革・規制緩和」の流れというのは、こういう国民国家が「弱者」のために担保してきた諸制度を「無駄づかい」で非効率的だと誹るものでした。できるだけ民営化して、それで金が儲かるシステムに設計し直せという要求がなされました。その要求に応えられない制度は「市場のニーズ」がないのであるから、淘汰されるべきだ、と。
 社会制度の適否の判断は「市場に委ねるべきだ」というこの考え方には、政治家も財界人もメディアも賛同しました。社会制度を「弱者ベース」から「強者ベース」に書き替える動きに多くの国民が嬉々として同意署名したのです。
 それがとりあえず日本における「グローバル化」の実質だったと思います。社会的弱者たちを守ってきた「ローカルな障壁」を突き崩し、すべてを「市場」に委ねようとする。
 その結果、医療がまず危機に陥り、続いて教育が崩れ、司法と行政が不可逆的な劣化過程に入りました。現在もそれは進行中です。この大規模な社会制度の再編を通じて、「健常者のための医療、強者のための教育、権力者に仕えるための司法と行政」以外のものは淘汰されつつあります。驚くべきことは、この「勝ったものが総取りする」というルール変更に、(それによってますます収奪されるだけの)弱者たちが熱狂的な賛同の拍手を送っていることです。国民自身が国民国家の解体に同意している。市民たち自身が市民社会の空洞化に賛同している。弱者たち自身が「弱者を守る制度」の非効率性と非生産性をなじっている。倒錯的な風景です。
「みんな」がそう言っているので(実際には自分の自由や幸福や生存を脅かすようなものであっても)ずるずると賛同してしまう考え方というものがあります。マルクスはそれを「支配的なイデオロギー」と呼びました。グローバリズムは現代の「支配的なイデオロギー」です。
(略)
本書は、日本のグローバル化が急激に進行し、グローバリスト=ナショナリスト・イデオロギーが国内世論で支配的であった時期(安倍晋三と橋下徹と石原慎太郎が高いポピュラリティを誇っていた時代)に、それに抵抗する理論的・実践的基礎を手探りしていた人間たちの悪戦の記録として資料的に読まれる価値があるのではないかと思います。
「資料的に読まれる価値がある」と思うのは、とりあえずシンポジウムが行われていたリアルタイムでは誰からも相手にされなかったからです。メディアからはほぼ完全に黙殺されました。
しかし、偶然にも、「まえがき」のために指定された締め切りをとうに過ぎてから督促されてこれを書き出したちょうどその時に、日本維新の会の橋下徹共同代表の「慰安婦容認発言」が国外のメディアから批判の十字砲火を浴びるという事件がありました。この発言をめぐる維新の会内部の意思不統一で、グローバリスト=ナショナリスト・イデオロギーの「尖兵」として我が世の春を謳歌していた維新の会も今は解党的危機を迎えています。安倍自民党も「侵略」をめぐる首相発言、靖国集団参拝、改憲、橋下発言に対する宥和的姿勢などが中国韓国のみならずアメリカ政府の不信を招き、ナショナリスト・イデオロギーの暴走を抑制せざるを得ない状態に追い詰められています。
これら一連の「逆風」が日本におけるグローバル化趨勢が方向転換する歴史的な「転轍点」になるのかどうか、ただの挿話的出来事で終わるのか、それはまだ見通せません。でも、この20年日本を覆ってきた「支配的なイデオロギー」に対するある種の不安と倦厭感が国民の間に、ゆっくりではありますけれど、拡がりつつあるようには感じられます。
この本は2013年7月の参院選の直前に発行される予定です。選挙で、グローバリスト=ナショナリスト的政治勢力に対する有権者の信認がどれほど減るのか、それとも支持率はこれほど国外からの批判があっても高止まりしたままなのか、私は興味をもって見守っています。私たちがこの本の中でそれぞれに主張してきた言葉がすこしでも理解者を獲得してきていたのであれば選挙結果にそれなりに反映するはずです。そうなることを願っています。


P143
内田 
(略)でも、今の若い人たちは「もっと金をよこせ」というんじゃなくて、「金がなくても、質の高い生活ができるためにはどうすればいいか」という方向に思考をシフトしている。この変化はとても健全だと思います。あらゆるものが貨幣に換算され、ゼロサム的な競争に狂奔しているグローバル資本主義の社会で、固有名を持った個人たちが、社会的弱者を支援するための相互支援・相互扶助の社会システムを設計しようとしている。これはほんとうに健全なリアクションだと思います。別に経済成長しなくたって、日本には「見えざる資産」がいっぱいある。さきほど小田嶋さんが言われた「安全」もそうだし、森林資源や里山もそうだし、おだやかな気候もそうだし、そういう見えざる資産を僕たちはゆっくり享受しながら生きていける。この豊かな資源があるんですから、自分を労働力として労働市場にひどい雇用条件で売って、骨身を削るような思いをしてわずかの貨幣を獲得して、それで中間マージンをどかんと乗せられた商品を買うより、もっと合理的で、手触りの優しい社会システムを構築することを考えた方がいい。今、若い人たちがグローバル資本主義の収奪システムから立ち去ろうとしているのは、生物として当然の選択だと思います。
 それによって、結果的に日本経済が数値上は元気がなくなっていったとしても、役所やメディアが捕捉できないかたちで、「地下経済」が生まれている。そこで質の高い情報が交換され、モノやサービスや知識や技術が、効率よく行き来しているなら、生活者としてはそれでまったく構わないと思うんです。
 たぶんこういう話をすると、政治家や財界人やメディアは「それでは経済指標がどんどん悪くなる」と怒り出すはずです。でも、そもそも雇用条件を果てしなく切り下げて、お金がないから消費できないというかたちで市場から若い人たちを追い払ったのはこの国の経済政策ですからね。若い人たちを政策的に貧乏にしておいて、貧乏人が知恵を働かせて質の高い生活を送ろうとすると、「もっと金を使え、市場で商品を買え、非市場的な交換をするな」というのは話の筋目が通らないです。
 だから、それでいいと思うんです。政府の使う経済指標の数値はどんどん悪くなるけれど、市民たちの生活はむしろ豊かになっているということで構わないと思う。

TPPに関して
第4回「新しいジモト主義が日本を救う」より(2013年2月26日)
P208
TPPの正体は「アメリカの国内産業保護政策」
中島
(略)今、安倍(晋三・首相)さんは「この秋頃にもうルールが設定されてしまう。そのプロセスに日本が関与するためには、今ここで参加表明しなければならない」と言っています。状況は「待ったなし」であり、「今、決断しないと国益を守れない」と。しかし、よく思い出してみれば、僕たちはこれまでも同じ話を聞いているんです。菅内閣の時です。当時も「TPPはすぐに決断しなければルール設定の関与できない」と言っていたんですよ。けれども、民主党がゴチャゴチャしていたおかげで先延ばしになった。「待った」をしたわけです。それが今になって、再び「待ったなし」だという。
 これはそろそろ疑ったほうがいい。嘘なんですよ、こんなものは。ある意図した方向へ導くために、時間を区切り、議論をすっ飛ばして、拙速に決めていく。求める結果が先にあって、それを実現するために年限を設定しているんです。2011年11月に交渉に参加したカナダ・メキシコは、すでに不利な条件を承諾させられています。もう当時からルールを設定されていたわけで、TPPはあらかじめ日本にとっては不平等条約なんです。
 もう一つ、TPPが切り崩そうとしているものは何かという問題があります。今、報道などでは「農業VS日本企業」という話になっていますが、アメリカがこの何十年間、一貫して日本に迫ってきたことの1つは保険事業の自由化です。特に簡保(郵便局で扱っている簡易保険。民営化以降は「かんぽ生命保険」)を切り崩し、参入したいという狙いがある。小泉内閣がこだわった郵政民営化も、背景にはそういうプレッシャーがありました。それをもっと加速しろとアメリカは要求しているわけです。以前は馴染みのなかった(外資系の)保険会社が最近いくつも出てきているのはそういう流れでしょうし、将来的には国民皆保険を切り崩し、日本がこれまで福祉の領域でやってきた部分をどんどん市場化したいというアメリカの思惑がある。
 今、簡保は、学資保険やがん保険など、いろんな保険事業へ手を広げようとしている。それに対して、アメリカはノーと言っているわけです。せっかくアメリカの会社が市場に入ってきたのに、また簡保にやられてしまう。簡保は完全民営化していないからアンフェアだ。だから簡保の事業を制限しろ、という条件を今回突き付けてきた。
 つまり、TPPというものは、決して世界市場のためとか自由貿易の理念のためなどではなく、アメリカの国内産業の保護政策なんですね。オバマ政権は非常に地盤が弱く、経済界の言いなりになっていますから。そういう要求に何も従う必要はないんですよ。
 アメリカがTPPによって切り崩そうとしているものは、単にある特定分野の市場とか日本の農産物というだけではありません。いわば「凱風館的(※引用者註:私設道場=地域のコミュニティの核となるような存在)なもの」だと僕は捉えていて、それこそTPPがもたらす問題の核心があると思うんです。
(略)彼らが嫌う簡保や郵貯はなぜこれだけ強いのか。それは、郵便局というものがコミュニティと密接に関わっているからです。たとえば、おじいちゃんやおばあちゃんが郵便局の窓口へ行く。「ああ、誰々さん」と声を掛けられ、5~6分立ち話をする。大手の銀行では、あまりない光景です。窓口の風景を見比べるだけでも郵便局がどういう機能を持っているか、すぐわかる。そこには顔見知りの職員がいて、地域にとって重要な場所になっている。その背景には国家があり、それなりに長い年月をかけて築かれた信頼関係とスタビリティ(安定性)がある。それゆえに、多くの人たちが郵貯や簡保に一定の信頼を与え、コミュニティや人間関係ベースの中で利用してきたわけです。自分の預金がめちゃくちゃにされることはないだろう、と。預けたお金は大切な事業に運用されているだろう、と。
 こういったものを全部崩して市場化しろというのがTPPなんですね。アメリカにとって、郵貯や簡保は既得権益であり、公正なマーケットの原理でできていない。だから潰せと言う。しかし人間が経済活動を回していくためには、安定性や信頼感、長年の人間関係みたいなものはとても大切で、それらを全部取っ払ってマーケット任せにすると、われわれは「ここにお金を預けて大丈夫なんだろうか」と不安を感じる。そして、地域社会の中でお金を回すことをしなくなり、自分の手元にどんどん貯め込んでいくだけになっていきます。
 TPPは、日本社会のこれまでの良きあり方自体を崩し、市場化していく。経済や産業の構造だけではなく、社会構造そのものを壊そうとしている。だから僕は反対なんです。

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