『ポエムに万歳!』
巷にあふれる、感情過多な言葉の数々。著者はそれらを“ポエム”と呼び、蔓延するポエムについて綴った一冊。
“ポエムは、強いて定義するなら「詩になりそこねた何か」、あるいは「詩の残骸」と呼んでしかるべきものだ。両者の関係はバターとマーガリンの関係に似たものだ、と言えばよいのかもしれない。”
ポエム化するこの国の“言葉”づかいについて考察しつつ、その正体を“幼児性”と看破。
そう言えば、この国の首相の言動についても、「幼児的だ」という批判があるけれど、そう考えてみればそうかも。
そして、そんな幼児的な言動を是とする層がそれなりにいるわけだから、もしかするとこの国そのものが幼児化しているのかもしれない。
で、それってもしかして、国民を幼児化することによって、マスコミの煽りに乗って画一的な消費行動に走る“都合のいい”消費者に仕立て上げたいグローバリズムという悪魔が何か仕掛けをしているのではないか…?などと勘繰りたくなるのだが、穿ち過ぎだろうか?
★(著者に会いたい)『ポエムに万歳!』 小田嶋隆さん…ココ!
例によって極にゃみ的に気になった部分をちょこっと引用。
1-1 ニュースがポエムになるとき
P20
私の周囲では、昨今の「天声人語」は大変に評判が悪い。人によっては、21世紀にはいってから劣化したものの筆頭にあげているほどだ。
私個人も、たしかに、感心しない。読売の「編集手帳」や、毎日の「余禄」に比べて、尊大さが際だっている分だけ内容が薄いと思っている。
なのに、評判はそんなに悪くない。というよりも、一般世間における「天声人語」の人気は、むしろここへきて、上昇している感じさえ受ける。
ポエムは大衆受けする。それがポエムのおそろしい一面だ。
1-2 「ポエム」化する日本
P42
こうして記憶を振り返ってみると、80年代を境にして、一気に「ポエム化」が進んだのは確かなようだ。その理由のひとつに、かつて日本人が共有していた古典教養がまったく継承されなくなったことがある。たとえば、カール・ブッセの「山のあなたの空遠く/『幸』住むと人のいふ」くらいの文語調でも、俺、難しくてわかんねえ、という反応になってしまう。私の母親の世代には、別に学校を出てなくて特段の教養はないはずなのだけど、手紙で文語体を使う人間が、まだ生き残っていた。母親のところに来た叔父の手紙を見たら、高等小学校出なのに江戸時代の人みたいな見事な候文を書いていて驚愕した。戦前育ちの人はだいたい、文語や漢文に対する素養をそこそこ身につけており、小唄、都々逸、浪曲、浄瑠璃、清元などを口ずさめる短い言葉をたくさん暗記し、ストックしていたものだった。
1-3 そんなにいいのか、オリンピック
今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。
というキャッチコピーに“「あさましさ」のようなものを感じ”、“ことさらにカタカナで「ニッポン」をアピールする姿勢に「震災」を利用せんとする下心みたいなものを感じる”と述べている。
このカタカナ表記に関しては、(以下引用)
「『対外的なアピールとしての国名』を日本国民にアピールする」という手の込んだ修辞法なのだろうが、結果としては上滑りな印象を与えている。率直に言ってみっともないと思う。
と続く。
さらに引用する。
もうひとつ気になるのは、五輪を政治的・経済的に利用する底意を隠そうとしていない点だ。
「ひとつになるために」
「強くなるために」
と、コピーは畳み掛けている。
ここでは「五輪のためにひとつになる」というよりは、「国民がひとつになるために五輪を招致する」という前提で文章が書き進められている。なんというのか、目的と手段が倒錯しているのだ。
で、結果として、招致を企図している人々が求めているのは、五輪そのものではなくて、五輪がもたらすであろう副次的な経済効果や、五輪を錦の御旗として推進可能な行政権力のリバレッジだということが、ボディコピーの行間から読み取れてしまうわけなのだ。
為政者が、五輪に伴う建設需要や開催期間中の大量報道を通じて、経済の復興や民心の一新を期待するのはそんなに無茶なことではない。
が、この順序が逆転して、都市計画の強行や経済の復興のために、五輪を招致するのだとしたら、それは五輪の私物化と申し上げねばならない。私はそんな暴挙に賛成するわけには行かない。
★参考・2020年 東京オリンピック招致委員会のメッセージが酷すぎると話題に まとめサイト…
4-1 偽装の発生過程
P172
3 偽装が発生するのは、そこにインチキがあるから
偽装は偽装犯が一から捏造したものではない。偽装は「偽装の余地がある」状況そのものにあらかじめビルトインされている。
うむ。わかりにくいな。言い直そう。つまり、フェイクは、フォニーにしか発生しない。もっと言えば、ニセモノの商品は、まやかしの商品にのみ派生する、一種の正常化局面だ、とそういうことだ。
たとえば、シャープの液晶テレビだとか、トヨタのカローラだとかには、ニセモノが発生しない。なぜかといえば、そもそもそうした本物の一流品は、贋作業者みたいな連中の手に負える代物ではないからだ。そう。作れっこないのだよ、追随者なんかに。仮によく似たニセモノを作ったとしても、トヨタが200万円で売っているカローラをフェイク業者が作ったら、どうやっても500万円はかかってしまう。本当にまっとうな商品というのは、そういうものなのだ。逆に言えば、200万円でカローラが作れる業者がいるのだとしたら、その業者は、ニセモノなんか作らなくても、立派にオリジナルのクルマメーカーとしてやっていける。
ところが、相手がヴィトンのバッグみたいなものだと話は違ってくる。いけ好かないブランドのバッグみたいなものだと、ウデのある業者なら、ほとんどそっくりのニセモノを、10分の1の原価で作ることができる。つまり、ああいう世界のモノでは、そもそも値段の付けられ方が間違っているわけで、なればこそその「真の価値と実際の売価」の差額を埋めるべく、フェイクが発生というわけなのである。
○○牛も同じだ。
その語られている品質に対して、付けられている値段があまりにも不当に高額だからこそ、心ある業者はニセのシールを貼りたくなる、と、そこのところを忘れてはならない。だって買い手が素人なんだから。
仮に、買い手の目が確かで、流通業者が目利きで、小売業者が賢明で、ブランドに対する値付けが適正であるなら、誰も偽装なんかしない。
買い手がダボハゼで、流通業者の目が節穴で、価格設定が釣り針だからこそ、業者は違うシールを貼る。バカにすんなよ、と。
4-4 ねたみそねみひがみやっかみ
P195 何かにつけて「させていただく」を多用する傾向に対して
おそらくわれら現代人の過度な謙虚さの背景には、インターネット時代になって表面化した「匿名の悪意」がある。
人の目に立つ人間に対して排除の感情が寄せられることそのものは、いまにはじまったことではない。嫉妬は人類発祥とともにある極めて古い情動であり、人々を動かしているもっとも基礎的な動因のひとつでもあったはずだ。
が、嫉妬は、そもそも陰陽で言えば陰の感情だった。それゆえ、その身のうちに嫉妬を抱いている人間がいたのだとしても、彼または彼女は、その自分の中にある感情を、大っぴらには表明しなかった。というよりも、ほかのいくつかのネガティブな感情と同様、嫉妬は、あくまでも内心の動きであって、態度や言葉に出ない水面下の流れに過ぎなかった。
ところが、インターネットが登場して以来、ねたみそねみひがみやっかみは、その正当な噴出口を獲得するに至る。
(略)
と、あらゆる感情はその同調者を集め、増幅され、共振するようになる。特に巨大化した不規則言論は、「炎上」と呼ばれる言論テロを招くに至る。
(略)
てなわけで、百鬼夜行のネット言論の恐ろしさを知った人々は、結果として目立つことのリスクに対して、過度に敏感になる。
ところで…そう言えば、極にゃみ的にも、「ポエム」を書いてた時期があったなー。80年代じゃなくて、70年代の初め頃だけど。夢見る中学生くらいの頃… もしその頃のポエムとか、手元に残ってたら、恥ずかしくて死にたくなるだろうな。古いものは早め処分するのがよろし。 …って、web上に一度upしてしまったモノって、自分で“処分”できなくなったりするから、イマドキのヨノナカってコワい。
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コメント
>買い手の目が確かで、流通業者が目利きで、小売業者が賢明で、ブランドに対する値付けが適正であるなら、誰も偽装なんかしない…
そんなに賢くないのが…人間ともいえる。
だから、ニセモノも発生する。
陰と陽のバランス。
投稿: 同人 オバカッチョ | 2014年12月 3日 (水) 16:47
ニセモノもそれなりに努力して作ってんでしょうしね(?)
まぁどのみちブランド物とかに興味がないから、どうでもいいんだけど…
投稿: にゃみ。 | 2014年12月 3日 (水) 17:23
>インターネット時代になって表面化した「匿名の悪意」が…
古来、人間はの戦いの元は、嫉妬によるもの…
といっても過言でないほど
負のエネルギーの強い情動でありましょう。
嫉妬は人も殺す。
単純に稚拙な感情とタカを括ってはいけない。
誰でも“きっかけ”があれば頭をもたげてくる感情。
無神経な発信元もありますからねえ~
まあ、不特定多数を相手にして発信するわけですから
注意するに越したことは無いでしょう
投稿: 同人 オバカッチョ | 2014年12月 8日 (月) 16:42
ですね…
ヨノナカがなんだか“幼児化”してて、
本来、“オトナ”だったら身の内側に秘めて出さなかったはずの負の情動が、匿名性という名の便利なカブリモノによってあっさり野放しな感じになったりしますからねー。
くわばらくわばら。
投稿: にゃみ。 | 2014年12月 8日 (月) 17:00
>“オトナ”だったら身の内側に秘めて出さなかったはずの負の情動…
本当にそうですよ。
犯罪者でも…
何食わぬ顔でブログなんかではしゃいでる。
善悪の判断がつかない大人が多くなった。
本当にあきれ返る。
今度の選挙は民意を試される。
お花畑の赤ずきんちゃんが目を覚まさないと。
投稿: 同人 オバカッチョ | 2014年12月10日 (水) 11:37
ホントに…
お花畑で寝てる場合ぢゃない!!
起きて選挙に行かなきゃ!
投稿: にゃみ。 | 2014年12月10日 (水) 11:52