« 歳末恒例“白馬堂ROKKO清掃ハイク”だけどガイドハウス駐在 | トップページ | 生田川のヒマラヤ桜 »

『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』

今年読んだ本の中で、もしかしたら自分にとって一番Koakinai“腑に落ちた”かもしれない一冊。とてもとてもオススメです。
要約もしにくいし、私の稚拙な言葉でまとめたところで内容をきちんと理解してもらえるとは思えないので、絶賛お勧め、とだけ書いておく。

ここしばらく、生き方そのものを考え直すような示唆的な書物に次々と出会っている感があって、それは例えば
『里山資本主義』
『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』
『脱グローバル論 日本の未来のつくりかた』
『成長から成熟へ さよなら経済大国』
『食の終焉 グローバル経済がもたらしたもうひとつの危機』
『「里」という思想 』
そしてタイトルに「小商い」をつけた
『今ある会社をリノベーションして起業する~小商い“実践”のすすめ』 など。
これらの書物を通じて、マネー資本主義やグローバリズムに対する懐疑がどんどん膨らんできていたのだけど…

「経済成長」なんて幻想はもう埋葬していい。アホノミクスもいらない。TPPなんて地球外追放してほしい。そして、そんなものを今回の選挙のネタとして騙るような政治家は相手にしなくていい。御用メディアに成り下がってる某国営放送も全国紙ももういらない。

さらに言うと、自分だけ国外脱出するとか隠遁生活するとかっていうオプションをちらつかせる人々に対して感じていた“なんとなくな違和感”も、これでスッキリした。

「いま・ここ」に生れ落ちてしまったことを、自らの意思で必然にしていく。
自分が“寄って立つ”場所(ローカル)を大事にする。
できたら、同じように感じている人々とネットワークしていく。
それも、草の根とかゲリラ的な感じで。

小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ
平川克美 著
ミシマ社 刊
2012年1月 初版発行

★平川克美さん×中島岳志さんトークイベント
 (前編)…ココ!
 
 (後編)…ココ!

少しくらい抜粋して読んでも内容を理解することは難しいと思うのだけど、極にゃみ的覚書として…。

著者による「あとがき」から
 当今流行りの言葉といえば、経済成長戦略、グローバル人材、リーダー論といったところですが、流行っているときとは、終わりの始まりでもあります。本書は、九〇年代から猖獗を極めた、グローバル資本主義を形容するこれらの言葉の終わりを確認するために書かれたと言ってもよいかもしれません。
 代わってわたしが歴史の中から取り出してきた言葉は、国民経済、必然化論、おとな論で、本書では、小商いというテーマをめぐってこの三題ばなしが展開されています。



「まえがき」から
(略)
 大震災は、あるかないかという確率の問題ではなく、いつそれが来るのかというタイミングの問題なのだと、自著『経済成長という病』に書いたばかりなのに、(略)来るか来ないか、来るとすれば何パーセントかといった確率の問題として読み替えてしまっていたわけです。
 いつそれが来るかと問われれば、その答えは「わからない」です。では、「わからない」問題にわたしたちはどう対処すべきなのか、それを考えるべきだったのです。そのことに対する正しい態度というのは(正しいといういい方には語弊がありますが、ここでは生き延びる可能性を最大化するという意味で、とりあえず「正しい」と言っておきます)、ひとつしかありません。それは、いつ来ても大丈夫というリスクヘッジと、何があっても受け止めるだけの耐性を身に付けておくということです。本書は、このリスクヘッジと耐性についての思想を背景にして、私たちが今考えなければならないことを綴ったものです。
 この震災にはもうひとつ、まったく異質な災厄が付け加えられてしまいました。原発事故です。こちらの方はこれまでありえないこととして喧伝されてきた、人災であり、あってはならない悪夢のような出来事でした。そして、こちらも、あってはならないという当為と、ありえないだろうという希望とをどこかで取り違えてしまっていたわけです。
 あるかもしれないと思っていたことと、ありえないだろうと思っていたことが同時に起きてしまったということです。「想定外」と形容されることになる天災と、回避できたはずの人災が同時に私たちの身近なところで起きたことの意味を考えないわけにはいきません。このような災害に「想定外」などという形容が許されるなら、国も組織もその責任を放棄する方便を与えられたも同然です。「想定外」はほんとうは使ってはならない禁句なのですが。
 とにかく、この二種類の災厄が同時に起きたことで、この間のわたしたちの思考方法そのものが問い直されなければならなくなりました。
 災害に対するわたしたちの思考に生じた狂いは、戦後ずっと信じられてきた、経済成長によってわたしたちの健康で文化的な生活を保障されるのだという考え方に生じる狂いとも同型のものです。経済成長したいという願望が、経済成長が可能かどうかの歴史認識に先行しているという思考法は、想定外のことは無いことにしてもよいという思考法と瓜二つです。経済成長しない日本の姿は、想定外なのです。本書は、その経済成長はすべての問題を解決するという考え方に対して、そもそも経済成長とは何なのかというふうに、異議申し立てをしています。結論からいえば経済成長は、当分難しいということです。それでも多くのひとびとが、経済成長はあたかも所与の条件であるかのような考え方にとらわれています。


第1章 経済に蚕食された社会
P24
 わたしは、たとえば豹やピューマのようには走れないこと、数十メートル先までしか届かない声、一日に家族を養うだけの食料を獲得することしかできない狩猟や漁猟の生活は、人間にとっては限界であり、限定ではあるけれど、これらの自然人としての限界や、限定には意味があるのではないかと考えてもよいと思っています。
 能力を限定された人間、それはまさに神が創った人間という生き物の裸の姿ですが、そこにはわたしたちがまだ気づいていない積極的な意味が隠されているのではないかということです。
 こんなことを考える人間は多くはありません。
 もちろん、経済やテクノロジーはそのような問題を取り扱おうとはしません。
 あたりまえです。
 経済もテクノロジーも人間の限界を超えることで進化してきたわけですから。
 では、なぜそのようなことを考えようとするのか。
 その理由は、限界を超えるという人間の欲望や、それによって成しえた成果といったものが、もう限界にきていると感じることが、次々と身の回りに起きているからです。
 経済的には、サブプライム・ローンという詐欺まがいの金融技術によって膨張した経済が、リーマンショックによって一気にしぼみ、いままた世界の先進国の経済が長期的なデフレや債務超過に悩んでいるということ。
 グローバリズムという政治と経済の流れが、ひとびとを幸福にするよりは、格差を拡大し、秩序を乱す要因を生み出していること。格差が拡大しすぎて、民主主義が作り上げてきた中産階級を破壊して、世界が富めるものと、貧しいものに二分化されつつあること。
 テクノロジーの問題でいえば、インターネットが高速で吐き出す情報というものに人間が振り回され、人間がそれらを使いこなすよりは持て余すことが多くなったこと。
 そして、原子力発電という究極のエネルギー生産装置が、取り返しのつかないような事故を起こしてしまったということ。
 道具や貨幣を使いこなしていると思っていた人間社会は、いつのまにかそれらに振り回されてしまうようになってしまいました。マネーと実物経済の関係でいえば、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』を書いた水野和夫さんが言うように、頭(実物の経済)が尻尾(金融経済)を振っていたと思っていたけれど、尻尾に頭が振り回されているような倒錯が起きています。
 こういった事象が指し示していることをわたしたちは、どのように読解したらよいのでしょうか。
 さらなる技術革新と経済発展によって、これらの問題を乗り越えるべきだという方もおられるでしょうが、わたしは違います。
 ここらで、いったん立ち止まって、自分たちが求めてきたものが何であったのかを考えてみてもよいではないかと、わたしは思っているのです。
 立ち止まるには勇気が必要です。
 誰もが、もっと成長をとか、もっと元気にとか、もっとアクティブにと唱える時代にあって、立ち止まるということは、内省的になるということであり、動き出すまえに落ち着いて考えるということであり、幾分かは暗い顔つきになることでもあるからです。
 それでも、わたしはいまこそ立ち止まって考えるべきだと思っています。
 おとなになるとは、落ち着きをもって過去と未来を計量する時間をもてるようになることであり、日本は十分おとなになるべき時代になっていると思うからです。


第2章 街角のフォークロア
オリンピック以降、老いのプロセスというものが、進歩や発展という言葉の背後に隠蔽される。本来はあった、いやいまでもそこにあるものが見えなくなった。

P62
 日本が極東の敗戦国から、世界の中の貿易国家へとものすごい勢いで近代化していきます。ちなみに、原子力発電所が最初の発電を行うのもこの頃(1963年)です。
(略)
 オリンピック以前と、以後で何が違うのか。
 あえて言葉にするならば、人間と自然の関係が百八〇度転換したということかもしれません。
(略)
 オリンピック以後、老いのプロセスというものが、進歩や発展という言葉の背後に隠蔽されてしまいました。家の前のどぶ川が、コンクリートの板で塞がれて暗渠になったように、本来はあった、いやいまでもそこにあるものが見えなくなっているのです。
(略)
 端的に言えば、歴史上十分にありうる経済成長の終わりということを、まるで禁忌でもあるかのように、思考の外に追い出してしまったのです。
 どこまでも成長し続ける人間というものがあったとすれば、それは自然の摂理から逸脱した病だといってよいでしょう。
 しかし、そうは考えずに、永遠に成長し続ける夢に多くのひとびとが取り憑かれていました。
 その究極の姿が、人間がうまく取り扱うことのできない原子力というものに、頼って生きようとしてきたことだろうと思います。原子力エネルギーの廃棄物は、人間の生存年数を遥かに超えて放射能を発散し続けるという誰にでも明らかな事実でさえ、なんとかなると思い込んでしまったわけです。原子力のいちばん根本的な問題は、それがヒューマン・スケールからあまりにもかけ離れた問題系であることだと、わたしは思っています。


第3章 小さいことの意味
P83
 消費は、欲望の関数です。最初はただ、生活の必要のためだけの消費だったものが、それが満たされた後にも拡大再生産されていきます。
 この消費と欲望の拡大再生産こそが、経済発展の条件のひとつでもあり、その発展を駆動するのは貨幣の著しい流動性であることは論を俟ちません。経済発展ということがもし、至上の命題であるならば、消費と欲望を果てしなく拡大再生産させることが必須となり、働くことは欲望を満たすためであり、金を得るための手段であるという考え方が正当化されなければなりません。
 その結果として、金を得るためならば手段を選ばないといった極端な思想が生まれてくる土壌ができあがっていったのでしょう。


P84
大量生産大量消費の時代の黄昏 から
 企業において、この拝金主義的な傾向は近年ますます顕著になってきました。市場に流通する貨幣の争奪は、市場占有率(シェア)争い、価格競争、戦略的な思考を激化させていきます。
 九〇年代以降に出版されたビジネス書には、「競争優位の戦略」という言葉が躍りました。競争優位とは、最短距離で目的を達成するためのポジションを獲得するということであり、限られたリソースを競争相手に対して効率的に投下することで比較優位を獲得することです。ここでも、無理や無駄を極限までそぎ落とす効率化とは畢竟するところ時間の短縮ということにほかならないわけです。
(略)
 どこかで、消費はその飽和点に達し、それ以後生産者は、ただひたすら消費への欲望を喚起するための差異の創造へと軸足を移していくことになるからです。
 そこに、皆が買うものが、価値のあるものであり、皆がいいと思っているものがいいのだという、ケインズのいう美人投票のような心理の上に価値がつくられるということが起きてきます。美人投票とは、ケインズが『雇用と利子および貨幣の一般理論』の中で述べたたとえで、勝者を当てた者に賞品が与えられる美人投票では、自分の好みよりも、他の投票者の好みに合うと思う女性に投票することになります。ケインズはこのたとえを使って、株式価値形成の心理を説明しました。まさに、価値とは生産者と顧客との間の関係の中に生まれるものであり、関係が変われば価値もまた変わらざるをえないものなのです。
 しかし、これは実体の無い幻想としての価値でしかありません。
 いわば、大衆心理の上に咲いた見かけ上の価値というわけで、ゼロサム的な市場原理の中でしか生まれえないものです。
(略)
 大流行したゲームソフトやブランド品。
 陳腐化して見向きもされなくなったブランド品。


P89
 大量生産の時代にあっては、生産者にとって、消費者とは数であり、記号でしかなく、投入した資本の回収、つまりは利潤だけがクローズアップされることになります。
 現在は、生産者はいつも消費者を探しています。
 日本が高度経済成長していた時代は、アメリカが世界の最終消費地でした。
 アメリカ人は借金をしてまで(カードによる購入ですね)、世界中の商品を買いあさり、ついには膨大な輸入超過の国をつくってしまったわけです。
 リーマン・ショック以後、もはやアメリカは世界の最終消費地であり続けることができなくなっています。
 アメリカだけではありません。
 世界中の先進国に、欲望を全開にした消費者はもうほとんどいなくなっているのです。
(略)
 しかし、それも一巡してしまえば、もう地球上には新たなフロンティアとしての消費地は残っていません。大量生産、大量消費の時代が永遠に続くという考え方には、根本的に無理があるのです。


第4章 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ
  ―東日本大震災以後

P115
 震災から半年が過ぎて、原発行政といったものの杜撰な実態が明らかになってきました。
 たとえば、玄海原発での市民説明会において、九州電力は原発賛成派を動員するためのメールを関係者に送り、説明会場でやらせ発言をさせるといったことや、原発の安全性をチェックするのが本来の役割であるはずの原子力安全保安院までもが同様のやらせ動員をしていたという事実が明らかになってしまったのです。
 原子力神話というものが、このようないい加減な言論操作や、金を使った買収によって作り上げられた擬制でしかなかったことが白日の下に晒されてしまいました。
 しかし、そのようなことがあるだろうとは、ほんとうは誰もが薄々感じていたのではないでしょうか。
 それでも、原発を推進することで日本を発展させるという経済合理性との取引に無言で応じてきたのだとすれば、電力会社や、経済産業省だけを責め立てるのはフェアだとはいえないだろうと思います。
(略)
 原子力発電所の建設は、現在得られるエネルギーという富のために、事故の危険や廃棄物処理というコストを先送りするというスキームの上に行われたのでした。
 かつてカード会社の到来時によく言われた、プレイナウ、ペイレイターという思想が国家レベルで凝集したのが、原子力発電所の建設であったということです。
 本来であれば、技術安全上の問題や、原発立地の問題はそれぞれ冷静なデータや調査結果の分析によって、事前に支払わなければならない当然のコストであったはずです。
 しかし、自然災害による影響や、長期にわたる疫学的な影響までを視野に入れなければならないとすれば、そのコストはほとんど無限大に膨らんでしまいます。
 その危険負担というコストの支払いを、とんでもない未来にまで先送りにしたわけです。
 コストとは、原則的に前例主義であり、過去の事例を参考にはじき出されるものですから、過去に起こったことがなく、将来起こりうるかもしれないコストを前倒しで算入することなど、不可能だということになります。
 そこで、考え出されたのが、将来起こりうるかもしれないコストを、現在価値に引き直したうえで、その最も安値で買い取ってしまうという乱暴な方法でした。
 それは、コストの支払いというよりは、コストの科目替えというべきものでした。


P144
 成長すること、経済的に発展すること、国際競争力で優位に立つこと。
 こういった経済成長によってしか、社会の安定や、個人の幸福や、国家の威信というものを思い描くことができない知性にとっては、社会の安定や個人の幸福、国家の威信とは、お金で買える程度のものでしかありません。実際にはそのどれもがお金では解決できないことを、この数十年の世界の歴史が明らかにしてきたのではないでしょうか。むしろ、経済的な発展の結果が、ある段階から格差の拡大や、文化の貧困化へ向かったと見るほうが自然です。これは、経済の拡大が様々な問題を解決するフェーズを過ぎて、新たな問題の原因となるフェーズに入ったということを意味しています。


第5章 小商いのすすめ
P180
 近代以降の人間の進歩の歴史とは、自然の脅威をコントロールすること、人間の持つ可能性を自然人の有する枠組みの外延まで引き伸ばすことであったと言えるだろうと思います。
 石炭や、石油を燃やして環境温度を一定に保つこと。電気の力を借りて、太陽が没しても明るい状態を確保すること。人間の脚では不可能だった、遠距離へ高速で人間を運ぶこと。
 それらはすべて、人間を取り囲む自然を人間に合わせて改鋳すること、自然そのものである人間に、自然が与えた以上の能力を付加することへの挑戦でした。
 そして、ある程度自然の脅威をコントロールできたとき、あるいはそう錯覚できたときに、人間はもともともっていた種としての生存戦略(リスクヘッジ)を解除する方向へ歩みだしたのではないか。
 わたしは、この生存戦略の解除によって生まれたものが、「個人」あるいは「個」というもの、「自分」というものの発見ではなかったかと思っています。


P185
 家族や、地縁共同体が解体されて、ひとりひとりが自己決定、自己責任で生きる時代は、消費資本主義を推し進めそこから利益を得るものたちの目的に合致したというわけですが、同時にそれはわたしたちひとりひとりが、「個」を発見し、それをどこまでも推し進めようとしてきた結果でもあるということでした。
 それこそが、民主主義というものの進展の結果であり、その意味では歴史的な必然ともいうべきことであったといえるでしょう。そして、その帰結として政府の干渉を排除するグローバリズムが受け入れられ、貧富の格差、都市と農村の格差が広がっていったのだとすれば、それは民主主義の必然であり、わたしたちが望んだ結果でもあったということです。自己責任、自己決定、そして自己実現というグローバリズムが推奨した個人倫理は、まさに地球がまだ誰にも支配されていなかったグローバルな弱肉強食の世界を生き抜く個人倫理でもありました。それはまた、個人の権利の一部を共同体に譲渡するところから始まる近代というものが、個を発見することで、再び弱肉強食の世界を呼び寄せるという歴史の皮肉のようでもあります。
 民主主義がグローバリズムを生んだのですが、グローバリズムが民主主義を滅ぼそうとしている光景に、わたしたちは立ち会っているといえるのかもしれません。
 別の言い方をするなら、資本主義的な社会システムが、産業資本主義から、消費資本主義、金融資本主義といったように変化してきて、その最終形態へ至ったということです。


P193
「いま・ここ」に責任を持つ生き方
 ようやく、本題の「小商い」について語る立ち位置にたどり着きました。
 小商いとは何か。
 小商いとは、「いま・ここ」にある自分に関して、責任を持つ生き方だということです。
(略)
 それは、本来自分には責任のない「いま・ここ」に対して責任を持つということだからです。
 合理主義的に考えれば、不合理極まりない損な役回りを演ずることになります。
 しかし、人間が集団で生きていくためには、誰かがその役回りを引き受ける必要がある。たとえば、昭和の時代に、世の親たちは、自分のこどもだけではなく、自分たちの責任ではない近隣のこどもたちに責任をもっていました。
 無償の地域活動をしているひとびとも同じです。
 村上春樹さんがいう「雪かき仕事」も同じ(『ダンス・ダンス・ダンス(上)』)で「僕」は、誰にも感謝されず誰もやりたがらないが、誰かがやらねばならない仕事を「文化的雪かきと形容した)。
 そういった合理主義的には損な役回りをする人があって、はじめて地域という「場」に血が通い、共同体が息を吹き返すことができる。
 なぜなら、この損な役回りに対して、それを自分が引き受けなかったひとびとは何らかの返礼をしなければならないと感じるからです。
 別に感じなくてもよいのですが、誰かがしなければならないことを自分の代わりにしてもらえばちょっとしたうしろめたさや、感謝を感じるものです。マルセル・モースは、それをマナという言葉で説明していまっした。この何か返さなければならない、退蔵してはならないという感情は時代や地域を超えた人類学的、民俗学的なものであるようです。
 マルセル・モースだけでなく、マリノフスキーも、レヴィ・ストロースも、宮本常一もそのような事象をたくさん拾い集めています。
 ともかく、誰かが最初に贈与的な行為をすることでしか共同体は起動していかない。
 合理主義的には損な役回りといいましたが、ほんとうはそうとばかりはいえないだろうとわたしは思っています。
 なぜなら、責任がないことに責任を持つときに、はじめて「いま・ここ」に生きていることの意味が生まれてくるからです。
 自分が「いま・ここ」にいるという偶然を、必然に変えることができる。
 責任がないことに、責任を持つとは、言葉を換えればリターンを期待しない贈与ということです。
 では、リターンを期待しない贈与ができるのは誰なのか。
 それは「親」であるおとなだけです。
 いや、正確に言えば、リターンを期待しない贈与をすることで、おとなになるのです。

P212
 グローバリズムという考え方が全盛ですが、生きている人間はどこまでいってもローカルな存在でしかありません。
 誰もが、偶然に「いま・ここ」に生まれてきて、そこで育ってきたのです。
 儲け話があるからといって、自分が生まれた土地を捨てて別の場所に移動することも可能かもしれませんが、それでは「いま・ここ」に生まれた偶然を、かれらの必然に変えることはできません。
 かれらは、焼畑農業のように、利潤を求めて世界中を放浪するかもしれません。
 生まれた土地から離れて利潤獲得競争をすれば、そこで流通している共通言語は、貨幣しかありません。貨幣の持つ無縁性が、共通言語としての力を発揮するからです。貨幣だけが、グローバルな世界の商品交換を媒介する言語となります。
 一方、ローカルな世界では、人間と人間の関係、人間と土地との関係が優先され、貨幣はそれらを取り持つ限定的な機能でしかありません。
 ローカルな土地の基盤を整備したり、困窮して行き場のなくなったひとびとに路銀を与えたりするときは、因習や関係性とは無縁の貨幣が重要な役割を果たすことができる。
 経済というものの本来の立ち位置はここにあったはずです。
 経済とは、お金儲けのことではないし、ましてや自分の欲望を満たすためのツールでもありません。
 経世済民。
 それが意味するものとは、「いま・ここ」に生きるひとびとが、生きていくことができるための術であるということです。
 さて、わたしは、日本という国民国家のメンバーとして、自らの意思とは無関係に「いま・ここ」に偶然に産み落とされました。わたしは、「いま・ここ」に対してなんの責任も負っていない。
 それでも、わたしは責任のない「いま・ここ」に責任を持ちたいと思っています。
 そうすることでしか、わたしの偶然を必然にすることができないからです。
 わたしがひとつの時代に生きていたという確かな証は、わたしが自分の偶然を必然に変えたのだというところに生まれるものだとわたしは思っています。
(略)
 二〇一一年は、わたしたちが戦後生きてきて、最悪の年でした。
 この戦後最悪の、ろくでもない年は、どこかでわたしたちが加担しながら作り上げてきた年でもあります。
(略)
 どう考えてもろくでもない年ですが、もしこの年が後世のひとびとにとってひとつの目印のようなものになるのなら、この年にも意味があったのだと思えるかもしれません。

|

« 歳末恒例“白馬堂ROKKO清掃ハイク”だけどガイドハウス駐在 | トップページ | 生田川のヒマラヤ桜 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 歳末恒例“白馬堂ROKKO清掃ハイク”だけどガイドハウス駐在 | トップページ | 生田川のヒマラヤ桜 »