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『古武術に学ぶ身体操法』

武術研究家の甲野善紀氏による“身体術”を巡る解説書で、Kobujutu_soho2003年2月に岩波アクティブ新書から刊行された初出本に加筆して、新たな体裁で再刊行となったもの。
アメリカ流の科学トレーニング、走り込みや千本ノックといった、根性重視系の野球しか知らなかった桑田選手が、故障で苦しんだ後に「もうひとつ全く別なものに出会った気がした」と語ったという甲野式身体術。
一般的な「スポーツ科学」とは一線を画した内容で、「捻らない、うねらない、ためない」という、甲野流古武術的な身体の使い方について…。



古武術に学ぶ身体操法
甲野 善紀 著
岩波書店 刊(岩波現代文庫)
2014年3月 発行

極にゃみ的にばくっとまとめると…

【古武術とは?】
 「総合武道」で、状況に対応して応用がきく。日本文化の特徴のひとつ「一器多用」に通じるものがある。 特定の用途に進化したものはあまり応用が利かないが、単純なものほど応用範囲が広い。
 武道は元々命のやり取りであって、スポーツとは一線を画するものであったが、平和が続いた江戸期に競技化が進み、本来のありようとはずいぶん違うものになってしまった。

【甲野氏が武術と出会うまで】
 甲野氏は幼少の頃から、引っ込み思案で、人見知りすることから、自然相手の仕事をしようと考え、東京農大畜産学科に進学。
ところが、そこで展開していたのは「いかに効率よく畜産を行うか」という研究で、鶏から抜けた羽根や糞に含まれるたんぱく質を餌として再生できないかとか、はばたくとエネルギーを消耗するので、羽根の退化した鶏を作ろうといった方向性に違和感を持った。
 実習で行った鶏の孵化場で、雛を選別する作業を行ったが、出荷するのは雌のみなので、雄はバケツに投げ込み、長靴で踏みつけながら詰め込んで、いっぱいになったら穴に捨てるというえげつない実態。
現代社会はものすごい犠牲や矛盾の上に成り立っていて、利益のために陰でさまざまなことが行われていることに気づいた」という。

 その後、自然食や宗教などにも関心を寄せながら、武道と出会う。はじめは合気道、次に鹿島神流、さらに根岸流手裏剣術や駒川改心流剣術、四心多久間流柔術、民弥流居合術など、多くの古伝の武術を学ぶ。
 1992年に「井桁崩しの原理」を発見。
「捻る」「うねる」動きの問題点に気づく。「ため」をつくらず力を出すことによって効率的で素早い動きを可能に。
 「なんば歩き」などについても解説されている。

極にゃみ的に気になったところを一部抜粋
 人間の生活技術としての本能である文明や文化が、 農耕も行わない、行ったとしても、栗の木を植えた程度の縄文文化どまりであったなら、人間がこれだけ環境を破壊し、 地球の癌と呼ばれることもなかったでしょう。これも、人間の可能性という長所即欠点のひとつです。欲望にまかせて前へどんどん進むことで、機械文明などの人間の創造物が逆に人間の存在を冒しつつあります。人間のすばらしさが諸刃の剣であることをどう自覚して、これからどうするかを本気で考える時期にきていると思いますが、この先どういう道をとったらいいのか、それは本当に難しい問題だと思います。ですから、こういう時代になって、いっそう私は「これが正しい」と言いづらいのです。このことは私の技についても同じで、「この動きは以前に比べればより有効だ」とは言えますが、 正しいという表現はどうしても使いづらいのです。
 しかし世の中には、「これが正しい」と断定的にものを言う人がたくさんいますね。私にはそれがよくわかりません。
もちろん、それが禅で見性(けんしょう)したときのような、うまく言葉にならない感覚的な直感で言うところの絶対的なものなら、そう言うのももっともかなと思いますが、 客観的本質的な意味で正しいかどうか判断するのは、本当に難しいというか不可能としか言いようがない。それは私の中に常にある感覚です。自分が常にいいとは思っていない、だからこそ、次々に技が進展していくのだと思います。
そしてもちろん、そのことが正しくてよいことかどうかも私にはわかりません。


★これはマスターした方がよさそう
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自分で練習できる「受け身」

驚くほど日常生活を楽にする 武術&身体術』と前後して読んでいたのだが、極にゃみ的には“身体操術”がどうにもわかってないっぽい。

一般的な都市生活者よりは身体を使っている方だと自認しているけれど、「身体の使い方」に関しては、ものすごく「わかっていない」自覚がある。
ボルダリングをしていて、とても優秀なインストラクターがとても親切かつ丁寧にアドバイスをしてくれているのに、どうにもこうにもならなくて、「なんでできないのかわからない」と言われたことがある。
たぶん、、、身体の使い方が“わかってない”のだと思う。

武術に学ぶ ~心と身体の再発見~」で、「ものすごいヒトだなぁ」とは思ったけど、自分の身体で何か実感できたかというと全く。
甦れ!日本人の股関節 ~ あたりまえのカラダの使い方」のときも、素晴らしい!と感動したのだけど、残念なことに自分の股関節は蘇らなかったのであった。
じつは身体性という部分で何か非常に重要なものが欠落しているのだと思う。
「ナンバ歩き」も何度もやってみてるけど、ふと気づくと“西洋式”に手足が逆のバランスになっている。ゆっくりならナンバでも歩けるのだが、少し急ぎ足になると無理だったり。刷り込みが強すぎるんだろうか。

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