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『俺に似たひと』

初出は医学書院による看護師のためのwebマガジン「かんかん!」の連載を元にOreni_nita加筆修正して出された本。
少し前に読んだ『小商いのすすめ』と、ほぼ同時期に制作されているが、内容的にもシンクロしている部分があるように感じる。もちろん、一方は経済について書かれたもので、本作は老親の介護に関するものだから、全く別ジャンルなのだが、高度成長期から下降していく時代の流れと、成熟を越えて老いという段階へ向かう人のライフステージは、似ている部分がなくもない。老親の介護を経験することによって、ものを見る目が拡がったり、洞察が深まったということもあるのではないだろうか。
介護という世界の地味な壮絶さを淡々と描いている点でも非常に興味深かった。“老境”の入り口に差し掛かり、老いという現実から目を背けてはいられなくなってきた自分の問題でもあるのだから。 

『俺に似たひと』
平川克美 著
医学書院 刊
2012年2月 初版発行

冒頭から

 (略)
 この一年と半年、俺は父親の介護をするために実家に戻り、毎日毎日、朝晩の食事をつくり、風呂に入れ、散髪をしてやり、下の世話と汚れ物の洗濯をした。それ以前、つまり介護生活に入る以前は、父親とは会話らしい会話をしたこともなく、彼が何をしているのか、どのような気持ちで毎日を過ごしているのかについてほとんど何も知らなかったといってよいと思う。
(略)
 そんな父親に付き添いながら、俺は老いの意味(俺はこれまでそんなことを考えたこともなかったのだが)について考え続け、老いへの理解を深めていったと思う。
 これから記述していくのは彼の「過去」である。それは息子である俺がいずれは遭遇し、同じように躓き、同じように困惑しながら、乗り越えたり打ちのめされたりする「未来」の光景でもあるだろう。父親の老いの光景は、俺の老いの光景でもあるということだ。
 したがって、以下は「俺に似たひと」の物語である。物語という形式でしか語りえないものがあると言ったのは、わが盟友である内田樹だが、俺が体験した一年半こそが、その語りえない「時間」だったということだろう。



あとがき から
 冒頭にも触れているように、本書は父と息子の内面の葛藤をめぐるひとつの「物語」です。「物語」という意味は、これが客観的に事実を描写したルポルタージュや、一人称で個人の内面を語った手記というものや、老いに関する論文とは少しばかり違う書き方をされたということです。
 もちろん本書の内容の多くは、実際にわたしが体験した事実に基づいて書かれていますが、違いがあるとすれば、本書の登場人物である「俺」と「父親」と「母親」に、自由に語らせてみるという形で物語が進行しているという点だろうと思います。たとえそれが、ほとんど実際に語られたことであったとしてもです。
「俺」は、確かにわたしの分身に違いないのですが、わたしそのものというよりは、日本中のどこにでもいる「俺」たちのうちのひとりでもあるのです。


Dsc07641各章の扉に書かれたイラストもいい感じだった。

人間は、言語を介して他人の経験から学ぶことができる。
もちろん実体験と、見聞きしたもの、読んだものの間には大きな開きがあることはわかっているけれど、それなりの“想像力”があることが、人を人たらしめている要素なのだろうし、間違った解釈でミスリードされてしまう可能性もあるにしても、“自分とは違う誰か”の体験を(自分なりの解釈にせよ)共有できることは素晴らしいことだと思う。
またまた良書に出会えたことに感謝。

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